RotaryClub of SAKURA 50th ANNIVERSARY


ご挨拶
佐倉ロータリークラブ
第50代会長 中村 慶太郎
佐倉ロータリークラブの創立50周年にあたり、ご協力をいただいた皆様に心より御礼申し上げます。
また、日頃より私どもの活動・運動につきまして、深いご理解とご協力を賜り厚く御礼を申し上げます。
本年度、佐倉ロータリークラブは創立50周年の節目を迎えることが出来ました。これもひとえに地域の皆様をはじめ行政、関係諸団体の皆様、そして創立以来50年もの長きにわたりロータリー活動に邁進してこられた多くの先輩諸氏のおかげであると佐倉ロータリークラブ会員を代表し深く感謝申し上げます。
本年、記念すべき節目において、これまで支えて下さったすべての皆様へ、日頃の感謝とこれからの歩みを「記念式典」に於いてお伝えすることとしていました。しかしながら、未曾有の新型ウイルスの影響により、地域も含め様々な制限を強いられる状況となり、縮小規模にての開催をしたこと、そして配信や記念誌にてのご報告となりましたこと、あらためてご理解頂ければと存じます。
佐倉ロータリークラブは、1971年10月に八千代ロータリークラブをスポンサーに仰ぎ、歴史と自然に恵まれた城下町の佐倉市では初めて、県内では41番目のクラブとして28名の会員と共に発足いたしました。
以降、職業における高い道徳基準を奨励し、人道的奉仕活動を行い、世界中で友好と平和を築くために熱い想いを持って運動を続けてまいりました。
昭和から平成、そして令和という新たな時代を迎える中、これまで築き上げた先輩方の歴史と誇りを享受し、運動のうねりを止めることなく次世代に継承し、新たな未来を創造していくことが我々の責務と考えます。
本年、「RESTART!!」をスローガンに掲げ、災害対応、コロナ禍で活動制限を余儀なくされた2019-20年度、2020-21年度との継続性を意識しつつ、「次の世代が活力に満ちて活動しやすい組織風土を醸成していく、新たなスタートの年に出来れば」と願い出発しました。しかしながら、コロナ渦において行動のみならず意識や価値観までもが制限され、どうしたらよいのか判断に迷うことも多々ありました。
そんな中でも、さまざまな職業やスキルをもつ会員達がアイデアを寄せ合い、責任を持って粘り強く行動する姿勢に、私自身『前に進もう!』という想いと強いエネルギーをいただきました。
50周年スローガン『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』
█ 記念講演『命の授業』
講師の腰塚勇人先生は、自身が首から下が動かなくなるかもしれない大怪我から復活できたプロセスの中で、家族や生徒の応援がどれほど計り知れない力の源泉になったか!自身の経験を話すことで、周りの人にプラスエネルギーを与えらる人(ドリー夢メーカー)を増やしたいという想いで全国にて講演活動を継続して実施しております。
2021年9月緊急事態宣言下での開催を中止判断としましたが、多くの皆様からのご要望に伴い、2022年2月13日に佐倉市民音楽ホールにて再開催を決定し実施いたしました。
█ 記念事業『桜植樹・寄贈セレモニー』
以前から整備が進まなかった佐倉城址公園の整備を桜50本と防災対応釜戸ベンチ5セットを寄贈し、記念碑を建立することで後押しし、土塁と空堀を配置した多目的広場として、または防災拠点としての活用や大会開催時などの臨時駐車場としての活用が可能な「佐倉城大手門跡広場」が完成しました。
佐倉市の自然や文化について関心を高め、ひいては「自助」「共助」の力を向上させる取組として、郷土愛を育み、防災教育への関心を高める一助となった本事業では、数多くの皆様より、感謝や前向きなメッセージをいただくことが出来ました。
そして、会長幹事エレクト、ノミニー、今後数年以内には佐倉クラブを担うであろう若手会員を交え、佐倉クラブの活動方向性・指針を話し合い、その一部を記念誌に掲載させていただきました。
これから数年間は『子供たちの未来のために』をキーワードに社会奉仕活動を企画し、地域貢献・PRと共に実践し、更なる地域の活性化、クラブの成長に繋げていきたいと考えております。
いつの時代も我々はその時々において、取り組む内容は違えども、地域のため、そしてそこに住み暮らす人々のために運動を展開して参りました。会員一同さらに研鑽し、より良い仕事を通じた地域社会、国際社会に貢献する奉仕活動の輪を広げてまいります。
そして、次代を担う人材の育成、奉仕と交流の流れを明るい未来につなげていく努力を重ねていくことを、ここに御約束申し上げます。
結びになりますが、改めまして佐倉ロータリークラブへの50年間にわたる温かいご支援へ感謝を申し上げると共に、今後より一層のご理解とご支援ご協力を賜りますよう心よりお願い申し上げ、挨拶とさせていただきます。

ご挨拶
佐倉ロータリークラブ
創立50周年記念実行委員会
大会委員長 三橋 正幸
佐倉ロータリークラブが1971年10月2日に創立され、八千代ロータリークラブをスポンサークラブとして、同年10月14日に2790地区41番目のクラブとして認証されました。
特別代表の山本様の下、宮下初代会長また都築幹事さん達が八千代クラブ例会に出席して、ロータリーのいろはを学びながら認証書伝達式を迎えたと聞いております。例会場は千葉相互銀行(現京葉銀行)志津支店二階会議室で出張料理だったようです。会員数は28名で活動も活発で特に青少年交換に力を入れていたようです。

創立10周年記念を迎えて、ロータリー拡大に向けて四街道ロータリークラブを設立し、桜の木を佐倉城址公園の西側お堀後に植樹をしました。
創立15周年記念を迎えて、社会奉仕委員会の提唱による佐倉市内ボランティア慰労ボーリング大会を開始し、数多くの奉仕活動もしているこのようなクラブに誘われたのは40歳の時でした。それまで青年会議所の活動をしていましたが、卒業となりのんびりしていました。志津のメンバーから青年会議所の先輩の推薦で承認されたので、7月の第一例会に顔を出すように言われました。名前を呼ばれいきなり入会式が始まり胸にバッチを付けられました。ニコニコボックスに入会の喜びを表すように、お金を入れるように言われ入れました。
他にも色々あって何かと慌ただしかったように思われます。その頃のクラブの中は和やかな雰囲気で笑顔にあふれておりました。例会場は両総信用金庫佐倉支店二階会議室で会員数40人近くに成っていました。翌年に創立20周年を迎える事もあり、記念事業に佐倉市市政20周年記念で寄贈した花時計の痛みが激しいので、市庁舎前ソラー時計を寄贈する事になりました。創立25周年とゆう大きな節目となる行事には、新クラブの拡大、会員の増強、記念講演に佐倉が全国に誇る長嶋選手が読売ジャイアンツの監督を努めており、同級生がメンバーにいた事から「そのつてをたよりに開催しよう」と盛り上がりを見せていました。
私がクラブ幹事を務めた1995-96年度に、佐倉西ロータリークラブ(現佐倉中央ロータリークラブ)を親クラブから一人も移籍することなく設立させました。25周年の年には会員数も59名と多くなり、会員の3年間の努力も実り、長嶋監督が来場し、盛大な記念式典が開催されました。
創立30周年の会長を務めた年にはバブル崩壊もあり会員数も46名と減りました。記念として公開例会をウィシュトンホテル・ユーカリで開催、職業奉仕委員会より佐倉市八街市酒々井町消防組合救急救命士合格者の表彰、佐倉警察署管内地域の安全に努力している職員の表彰、社会奉仕委員会より市内ボランティア団体の表彰、そして消防署職員による普通救命の講習を開催、この様子はケーブルネット296、千葉日報新聞、佐倉市広報に掲載されました。
その後、会員数も減り続け、会員拡大もなかなか進まず、ガバナー補佐の順番が来て引き受けた時には、会場もフランス料理シェ・ムラとこじんまりし、会員数も16名と成っていました。日本全体でも会員数が減少し、標準クラブ定款も大きく変わって四大奉仕部門から五大奉仕に変更になり、一業種1人から5人までと変わり、出席義務も緩和され、会員増強しやすい状況になり、佐倉でも影響力ある会員が入会しはじめ、少しずつ増えるように成りましたが、三十数年過ぎると私と近い年齢のメンバーがほとんど退会し寂しい限りです。
現在は「楽しいクラブになろう」という合言葉で50名になろうとしております。平均年齢も五十代前半と若くなりました。創立50周年に向けて若い会員を中心に、意見を取り入れ進めて参りました。コロナが蔓延し、緊急事態宣言の中、記念事業あるいは記念式典が開催できるのか不安が募り、実行委員会の頑張りによりここまでやっとこぎ着けました。
盛大な事は出来ませんが、皆様に祝福される事に感謝申し上げます。これからも佐倉ロータリークラブを宜しくお願いします。
ご挨拶
佐倉ロータリークラブ
創立50周年記念実行委員会
実行委員長 實川 正道
佐倉ロータリークラブ(以下、ロータリークラブ=RC)は1971年10月2日に八千代RCのスポンサーにより2790地区において41番目のクラブとして、当時の宮下寅之助初代会長のもと28名のメンバーで誕生致しました。初代会長宮下寅之助さんと幹事の都築勝雪さんお2人は、佐倉RC設立前は入会されて2~3年目の八千代RCのメンバーだったそうです。八千代RCが設立3年目に隣の佐倉市にロータリークラブがないので当時の会長が至上命令のような形でクラブの会員に発破をかけて創られたという歴史があるようです。

当時、佐倉市には既にライオンズクラブが出来ていて、新たに佐倉RCとして会員を集めるのはかなり大変だったようです。積極的に勧誘されて入会してみたものの、堅苦しい雰囲気に馴染めず、しばらくして辞めていった人も何人かいたようです。
創立7~8年頃には交換留学生の受け入れをクラブの柱の事業として勢力的に行った時期があり大変盛り上がった反面、行き過ぎた面もありお金がかかり過ぎて財政的にも苦労され、クラブ内でも夢中でやっている会員と冷ややかな目で見ている会員との間で調和がとれず、その頃が佐倉RCの第一次危機であったようです。
10周年の時には記念事業の一環として、四街道市に新クラブ結成に向けて動き出し、1982年6月2日に四街道RCが誕生しました。そして25周年を迎えた頃には60名近い会員数になり、25周年の記念対談では佐倉市出身で当時読売巨人軍監督の長嶋茂雄氏にお越しいただき、佐倉市在住の元日本テレビアナウンサーの福留功男氏に司会をお願いして、記念対談が盛会の中、開催されました。
そもそも長嶋監督とのご縁は、25周年の高橋佐一会長が長嶋監督とは高校、大学を通じて同じクラスメイトで昵懇の間柄であり、また山岡会員のご次男が昭和55年当時佐倉高校からピッチャーとして読売巨人軍に入団して以来、家族ぐるみのお付き合いをしていたという経緯があったそうです。
又、この25周年記念事業の一環として当時佐倉市の人口が16万人余りに達したという背景と、佐倉市にもう1つロータリークラブを創って25周年に更に弾みをつける為に新クラブ結成に取りかかり、1995年5月22日に佐倉西RC(現佐倉中央RC)が誕生致しました。
私が入会したのは2001-02年度の三橋正幸会長の時で、ちょうど30周年を迎えた年でした。当時メンバーは46名位だったと思います。例会場はJR佐倉南口のリッチタイムホテルで行っていました。入って間もない頃、その会場で初めて卓話をさせていただきました。
私自身、2011-12年度に会長をやらせていただきましたが、ちょうどその年が40周年目にあたる年であり、また2011年3月11日は東日本大震災が発生した年でもありました。
私の会長年度は会員数16名と非常に少なく、当時の地区の平均会員数は33名で地区内でも一番高い減少率でした。
40周年の主だった事業としましては、東日本大震災で被災された当時佐倉RCメンバーの津田会員がご住職を勤めております、福島県喜多方市の会津大仏で有名な願成寺へ被災された皆様方へのお見舞いと1日も早い復興を祈願して、2メートル以上ある会津大仏の仏像の光背の千体仏像のひとつを、新たに奉納させていただきました。
又、2012年度の地区協議会のホストクラブとして少数メンバーの佐倉RCではありましたが、多くの皆様方のご尽力により無事、務めさせていただく事が出来ました。
10年前と比べるとここ近年毎年少しずつ会員が増え、今では40名を超える人数となりました。平均年齢も大分若返ってきました。約3年前から50周年に向けて会員増強と合わせてチャレンジ50という委員会を立ち上げ50周年記念の開催と、会員数を50名にするという目標を掲げました。
その頃、千葉県では房総半島台風で甚大な災害をもたらし、ここ数年は世界各国がコロナ禍に見舞われ、緊急事態宣言などで例会開催もままならない事態にもかかわらず、ここまで増強が出来た事は会員各々の意識が50周年へ向け、更なる熱い気持ちをもって取り組んでくれた成果だと思います。
私自身、今日このように50周年を迎えられました事を大変嬉しく思います。実行委員会はじめ会員の皆様ならびに、これまで携わっていただいた多くの皆様方に心より厚く御礼申し上げます。
この50周年を機に、新たなスタートとして将来の100周年に向けて、佐倉RCの輝かしい歴史を刻んで参りたいと思います。
どうぞ、これからも変わらぬ皆様方のご指導、ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

佐倉市ともゆかりの深い、佐倉高校の前身である佐倉藩學門所は江戸時代、佐倉11万石の藩校として、寛政4年(1792)に藩主堀田正順公が、桜の木を植樹した佐倉城址公園大手門広場となりに設立した「学問所」に始まり文化2年(1805)には「温故堂」と改称しました。
天保4年(1833)「文武芸術の制」では、幼少より計画的に藩士の学芸促進を図りましたが、そのレベルは相当高く、これらが実って幕末、明治に活躍する多くの人材を輩出することに繋がったとも言われています。
佐倉ロータリークラブの50周年スローガンでもある「温故知新」は温故堂にちなみ、チャーターメンバーで第55代会長の故田中勘一氏が「25周年を迎えた佐倉クラブにとっては正にピッタリの言葉だと思います」と残した佐倉ロータリークラブの”伝統精神”を支える言葉であります。
「徳を成すこと、用を作すこと」
積極的に挑戦しようとする精神に富んだ、優れたロータリアンを輩出出来るように、この先100年、200年後も「故きを温ねて新しきを知る」。
『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』 これからも佐倉ロータリークラブを宜しくお願い致します!!

No1
創立50周年「記念事業」
佐倉城址公園大手門広場『寄贈セレモニー』
「未来を創るための振り返り」と捉えて
地域ニーズに即した寄付・寄贈を実施しました。
2021/11/12 fri
名称:佐倉ロータリークラブ創立50周年記念事業
佐倉城址公園大手門広場「寄贈セレモニー」
日時:令和 3年11月12日(金) 11:00~12:00
会場:佐倉城址公園大手門広場
〒285-0017 佐倉市城内町277-9
内容:安全祈願、植樹式、除幕式
面積:約15,000㎡
寄贈:桜・50本(しだれ桜8本、染井吉野26本、寒緋桜6本、里桜10本)
防災ベンチ・5台((株)コトブキ社製 BB0011A-SM-H1-CK)
記念碑・1基
佐倉ロータリークラブ創立50周年記念事業「桜の植樹式」
296ニュース(2021年11月12日撮影・初回放送11月18日)
制作・著作:広域高速ネット二九六
佐倉城跡には、天守閣跡、空堀など城の遺構が多数残されているほか、樹齢約400年の「夫婦モッコク」(千葉県指定天然記念物)をはじめ、桜や牡丹、梅、菖蒲など四季折々の花が楽しめる場所として、多くの人が訪れ、歴史と自然を継承するシンボルとなっています。
佐倉城跡を「往時の規模がわかるように、大手門までの区域を城跡として復元すべきである」との意見も前々からありましたが、大手門付近は、市営住宅、県営住宅が置かれていたことから、なかなか話も進展せず整備も進みませんでした。
しかし、県営住宅が廃止・解体されたことにより、跡地を含めた一体利用の可能性を検討できる状況となりました。
そんな中、佐倉市から「佐倉城址公園内の大手門跡地に隣接する広場(約15.000㎡)を防災機能も備えた公園として整備する計画があるのだが」とのお話しをいただきました。
「市のシンボルでもある城址公園内の桜が老木ばかりになってきているので、将来的に桜まつりの開催も危惧している」とのこと・・・。
創立50周年記念事業の一環として、地域ニーズに即した事業を模索していた我々は、50周年に相応しいとの思いから「佐倉城址公園整備事業」を後押しするために、この広場に50本の桜を寄贈する決断に至りました。
我が国を象徴し、古来より親しまれ潤いと安らぎを与えてくれといわれる『桜の木』を植樹し、佐倉城の様子を彷彿できるような土塁と空堀を配置した憩いの広場として修景する事は、まさに50周年スローガンにふさわしい事業だと思います。
併せて、防災ベンチ等を寄贈して、災害発生時には物資供給拠点としての利便性の向上も図り、各種イベント・大会開催時などの臨時駐車場としても広く活用が可能な多目的広場は活用方法も広がります。
コロナが1日も早く終息して、子供たちからお年寄りまで、お弁当を持ってお花見に来てくれる、笑顔に華が咲くことを想像しただけでワクワクします・・・。
追伸:我が国では、毎年、地震や風水害など、多くの異常な自然現象が発生しており、これらの自然災害による被害を小さくする為には「自
助」「共助」「公助」の取組が重要です。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、大規模広域災害における「公助」の限界が明らかになった一方で、「自助」「共
助」の重要性が再認識され、防災教育への関心が高まりました。
しかし、何から始めればよいかわからない、活動を行う為の資金や知識が無いなどの様々な課題により、取組が進まない事例が存在
しています。
本事業をきっかけにして、佐倉市の自然や文化について関心を高め、郷土愛を育み、ひいては「自助」「共助」の力を向上させる取
組として、一歩を踏み出す一助となれば幸いです・・・。














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No2
佐倉ロータリークラブ創立50周年「記念式典」
296ニュース(2022年2月5日撮影・初回放送2月10日)
制作・著作:広域高速ネット二九六
創立50周年「記念式典」
佐倉城址公園大手門広場『寄贈セレモニー』
日頃の感謝を伝え、更なる飛躍を誓う場として記念式典を開催しました。
2022/02/05 sat
名称:佐倉ロータリークラブ創立50周年記念式典
『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』
日時:令和 4年 2月 5日(土)
登録受付14:30~ 式典15:00~16:30
会場:ウィシュトンホテル・ユーカリ
5階 ロイヤルウィシュトン
〒285-0858 佐倉市ユーカリが丘4-8-1
内容:記念式典
対象:会員+登壇来賓のみ
備考:2021.10.02に予定していた「記念式典・祝賀会」を
2022.02.05に延期し、盛大に執り行う予定でしたが、
新型コロナウイルスの感染が拡大している状況を鑑
み、急遽内容を大幅に変更して開催させていただき
ました。
令和4年2月5日(土)、新型コロナウイルスの感染拡大により延期しておりました創立50周年「記念式典」をウィシュトンホテル・ユーカリにて挙行いたしました。
開催案内を出状後、160名を超える皆様からのご登録をいただいていたにもかかわらず、1月21日~2月13日までの期間、県内全域にまん延防止等重点措置が適用されたことから、皆様を招いての開催を断念し、会員及び登壇をされるご来賓に限定しての「記念式典」のみの開催となりました。ご多用中にもかかわらず貴重なお時間をご予定いただいておりました皆様には、急なご案内となり大変申し訳なく心よりお詫び申し上げます。
「記念式典」では、實川実行委員長の開会の辞。志を誓った中村会長挨拶。歴史を物語った三橋大会委員長挨拶から始まり、梶原ガバナー、染井副市長、スポンサークラブである八千代RC江頭会長からの心のこもったご祝辞や当クラブへの期待が語られました。
続いて、中村会長よりスポンサークラブへ。また、日頃よりクラブを支えてくれている金山事務局への感謝状が贈呈されました。
その後も、本年度入会された9名の新入会員のご紹介。熊谷県知事、塚田商工会議所会頭、シェカールメータ国際ロータリー会長、佐倉親善大使・荻野目洋子様からのお祝いメッセージの披露。大島会員の「記念事業」報告。中村会長から佐倉市への目録贈呈。海保会員の「記念講演」案内。ロータリー日本財団、ロータリー米山記念奨学会、佐倉市社会福祉協議会への特別寄付が贈呈されました。
最期は、橋爪会長エレクトによる閉会の辞が述べられ、短い時間ではありましたが、日頃の感謝を伝え更なる飛躍に挑戦する当クラブの姿をお見せ出来たのではなかと思います。
昭和46年10月2日に八千代ロータリークラブのスポンサーにより佐倉市で最初のロータリークラブとして発足以来、地域社会の皆様方、友好団体、そして地域内外のロータリー関係者の方々の温かいご支援やご協力のお陰で50周年の節目を迎えることが出来ました。
本来であれば、この50周年という素晴らしい日を迎える事が出来ました事をしっかりと胸に刻み、『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』のスローガンの下、お世話になった皆様方と「歴史や思い出話に花を咲かせ、輝かしい未来が始まるワクワクを共に感じたい」との思いで、佐倉囃子保存会による演舞や新年特別祈祷、荻野目洋子ライブショー等々、多くの催しや最善のおもてなしを、委員会メンバーと式場スタッフが一丸となり連携して望んだ開催であっただけに、苦渋の決断ではありましたが、爆発的に感染が広がっていたその時期の風潮や皆様の健康面を考慮すれば、英断であったとご理解をいただければ幸いです・・・。
最期に、様々にご尽力いただいた皆様、式典にご参加いただいた皆様に心よりお礼を申し上げますと共に残念ながらご参加いただけなかった皆様や関係各位には、佐倉ロータリークラブ創立50周年「記念式典」が成功裏に完了したことをご報告させていただきます。








【全編映像】
佐倉ロータリークラブ創立50周年「記念式典」
制作:株式会社omegane。著作:佐倉ロータリークラブ
【お祝いコメント】
佐倉親善大使 荻野目 洋子 様



【祝電】
千葉県知事 熊谷 俊人 様
【祝電】
佐倉商工会議所 会頭 塚田 雅二 様
【祝電】
千葉県中小企業家同友会 佐倉支部
支部長 森田 敬介 様



【祝電】
国際ロータリー第2790地区
ガバナー 梶原 等 様
【祝電】
国際ロータリー第2790地区
ガバナー補佐 神﨑 薫 様
【祝電】
習志野ロータリークラブ
会長 相原 和幸 様

【祝電】
元事務局員 仁瓶 志芳 様
【式典配付資料】

【祝電】
習志野中央ロータリークラブ
会長 三田 英志 様
No3
リンク先 ■YouTube
フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」に出演。
元熱血教師・腰塚勇人の悪夢から復活までの軌跡 〜フルバージョン〜
名称:佐倉ロータリークラブ創立50周年記念講演
「命の授業 ~ドリー夢メーカーと今を生きる~」
日時:令和 4年 2月13日(日)
開場13:15~ 講演14:00~16:00
会場:佐倉市民音楽ホール
〒285-0837 佐倉市王子台1-16
講師:塚越 勇人
内容:講演会
定員:333名(収容率50%以内)
参加費:無料
後援:佐倉市教育委員会
備考:2021.09.19に中止された講演会を好評につき定員を
縮小して開催しました
2022/02/13 sun
今必要とされているニーズに即した講演会を企画・実施いたしました。
『命の授業 ~ドリー夢メーカーと今を生きる~』
創立50周年「記念講演」
最近は核家族となり、死を間近に感じる経験が少なくなっていることからか?ゲームのような感覚で他人の命を奪う事件や、犯罪の低年齢化、青年期や壮年期の自殺の増加や、ストレスの深刻化、無関心を示す子ども達など、複雑な問題が増えてきています。生と死について私達の社会が抱える問題は悪化しているように思います・・・。
腰塚先生は、中学校の体育教師をしていた2002年、スキー中の事故により、首から下が麻痺してしまいました。歩くことはもう不可能と思われていた状況から、奇跡的な回復力を発揮し、事故から4ヶ月後には職場への復帰を遂げられました。
事故直後、絶望して自分の命を絶つことさえ考えたのですが周囲の方々の励ましがあり、壮絶なリハビリを経て、職場復帰することが出来たのです!!
そのときの経験は、自分の命の使い方を考え「今を自分らしく幸せに生きる」ヒントや、ドリー夢メーカー(自分の可能性を信じ夢を実現しようとする人、誰かの夢を知り応援しようとする人、誰かのありのままの存在を認め、思いやり・寄り添って生きる人)として、「大切な人の命を喜ばす生き方」のヒントが満載です!!
コロナ渦でコミュニケーションが低下し、世知が無い世の中と言われる今であるからこそ、経験者が語る生の声『「命の授業」ドリー夢メーカーと今を生きる』を届けたいと思いました。
当初は令和3年9月18日(土)に300名限定で本講演を予定していましたが、新型コロナウイルス緊急事態措置期間にあたり開催は一旦「中止」となりました。
本講演の意義を知り、どうしても伝えたかった委員会は「リハーサルという形で30名に限定して、コロナ対策をしてどうですか?」と無理を承知で越塚先生にご提案してみたところ「はい、喜んで!!」と思いがけないお返事をいただきました。1時間半のお得感満載の『「命の授業」リハーサル』が佐倉商工会議所2階に会場を変更してこっそり開催された瞬間でした。
数少ない参加者からは「胸に刺さりました」「実際に行動してみないと意味が無いから、行動へ移してみました」「5つ誓いにすぐに取り組みました」といった、前向きな感想を多数頂戴し「もっと大勢の方に届けたい」という思いが膨らみました。
広報費などの予算を既に償却しておりましたが、委員会の熱い思いは理事会の決議を経て、令和4年2月13日(日)に改めての再講演をつかみ取りました。
再講演が決定し、市内小中学校への配布や新聞折り込みなど、広報活動も実施した後、新型コロナウイルス感染症拡大防止の為、県内全域にまん延防止等重点措置が適用されてしまいました。
今回は緊急事態措置ではありませんでしたので、会場収容率の50%未満にするなどの感染予防を実施しての開催とはなりましたが、三連休最期の2月13日本番は太平洋を中心に雨や雪に見舞われ最後の最後まで煩労されての開催となりました・・・。
2月13日の本番を迎え、この日を待ち望んでいた多くの参加者を前に、越塚先生の熱い100分間の講演会が開催され、地域の皆様に「命の授業」を届けられたことは感無量です!!
「来て良かった」「命の授業を聞けて良かった」「気持ちの湖を大切にします」「帰ったら家族にありがとうを伝えます」などの嬉しいお声もいただく事が出来ました!!
開催に至るまで中止も考えられましたが、それでも「生きていく中での大切さを地域の皆さんに届けたい」という思いの下、大きな問題も無く開催出来たことに感謝しております。また、何よりも「やめる理由」が沢山あった中で、「開催する」決断を下し、責任をもって委員会をサポートしてくれた中村会長や、そこに賛同してくれた越塚先生。足元の悪い中にもかかわらずお越しいただいた多くの参加者の皆様に御礼申し上げ、ご報告とさせていただきます。
『「命の授業」は大人から子供まで、命が喜び、笑顔が繋がるSDGs』を確信した今、今後も佐倉市内で越塚先生のお話を聞く機会が増えて、ドリー夢メーカーとなる人が増えれば、必ずやワクワクする未来が訪れると思います・・・。



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【五つの誓い】
・「口」は人を励ます言葉や、感謝の言葉を言うために使おう
・「目」は人の良いところを見るために使おう
・「耳」は人の言葉を最期まで聞いてあげられるために使おう
・「手足」は人を助けるために使おう
・「心」は人の痛みがわかるために使おう
■10年間で全国各地「1900回」の講演実績
2010年3月 「命の授業」の活動に専念するため、22年間務めた教員を
辞職。
2010年5月 『命の授業』(ダイヤモンド社)を出版。
2010年7月 フジテレビ系『奇跡体験アンビリバボー』に出演
2012年3月 『感謝の授業』(PHP研究所)を出版。
2012年8月 フジテレビ系『テレビ寺子屋』に出演
2013年2月 月刊『致知』インタビュー記事掲載 その他etc・・・
◆「命の授業」腰塚勇人オフィシャルサイト
http://www.inochi-jyugyo.com/
◆「命の授業」ブログ
http://ameblo.jp/inochi-jyugyo/
Special Discourse
創立50周年記念「座談会」
中村会長 :今日こういう形で対談をやる経緯は、当初は50周年を迎えるにあたって「5年先までの会長幹事を決めてもいいのでは?」みたいな話
も出ていたんですけど、そこまで型にはめてしまうと、単年度制で回ってる団体なので、これから会長幹事やられる方たちにとって
フリーハンドの余地が少なくなってしまうのかな?というところもあり・・・。
であれば、エレクトとノミニーは決まっているんで、その後、幹事経験者が当然次の世代の会長になりうる資格というか、経験値はあ
るので、その方たちも含めて現状の佐倉ロータリーの良さであったり逆にこういうところをこうすれば、もっと魅力あるクラブになる
んじゃないかというところを対談形式で話してもらえばなあと思い、本日の対談を実施しました。
あともう一つ、これやる意味で僕個人的に考えたんですけど、今までは新しい年度がスタートする7月のちょっと前に、会長方針とし
てこういうことをやりますっていう書類が、例会で出て、そこでみんながいきなり知るわけですね。「来年会長こういうことを考えて
やるんだ。」と、それに対して、みんなで拍手で「頑張りましょう」で終わっちゃうんですけど・・・。
今回はこういう場を持っていただけたんで、数年先までこれからロータリークラブの中心メンバーとしてやってく皆が今時点で「こ
れから先はこういう形でやったらいいんじゃないか」っていうのを、「他のクラブメンバーに発信できる場でもあるのかな。」という
ふうに捉えて・・・。
それって今までになかったことなので「これから数年先は佐倉クラブってこういう感じで進むんだなあ」というのをおぼろげながら
も他のメンバーも知る機会となるので、すごい意義があることだと思います。
積極的、前向きな意見をぜひお願いしたいなと思います。
―今の佐倉クラブに関して、魅力的な部分と、
もう半年後には自分たちの年度がスタートするわけですけど、来年佐倉クラブはこういうところをもっとポイントとして
やっていきたいというのもあれば、聞かせていただければと思います。
橋爪会長エレクト:私、まだ6年目なのですが、当時の会長や歴代の会長をいろいろずっと見させていただいて、やっぱり私がここにいるのも、純粋に
『楽しい』っていうのは、あるのかなと。その中には、楽しいだけじゃなくてちょっとした一言とか、たわいもない発言かもしれません
けど結構ヒントになったり、心が軽くなったりっていうのは、多々今まであって、ひそかに感謝しているんです。
そういう面があると私としては非常に魅力的かなっていうのがあって、ここ最近の歴代から現会長にかけてみんなの輪を大事にする
雰囲気は非常に高まっているので、その辺はより魅力を増して、当然そこは強化していきたいと思っています。
そのためにはやっぱり我々の繋がりというか、卓話もそうですけど今やられている大先輩方の卓話は非常に面白くて、皆さん興味持
って聞かれていると思うんです。お互いまだ知らないことも多いのでせっかくいろんな経験をされている方々が集まっていて、いろん
な考え方、貴重な考えを持っている方々が多い。そういう所をもっと知りたいなと思っています。
あとはロータリーについても知らないことがまだまだ多いので、教えてもらいつつそれを次世代にもどう繋げていくかっていう
の・・・。ちょっと大筋ですけど、そういうふうな考えで私はおります。
相沢次期幹事も、職業的な面からも、もっと繋がりを深くしようということを思ってくれているので、相沢さんも一言お願いしま
す。
相沢次期幹事 :そうですね職業奉仕の充実を図りたいと思っています。
このコロナ禍で、新入会員8名入ってきてくれたっていうのは、やっぱりこの閉鎖的な状況の中で新しい人脈を作りたい、もちろん自分
の仕事にプラスになりたい、佐倉クラブの人間関係が良さそう、楽しそうというのがあると思うんですけども、そう思って入ってくれ
てきた8名に、入って良かったと、また彼らがロータリーとは関係ない人間にアピールできるような活動と、僕らがその背中を見せてい
かなきゃいけないんじゃないかなと思っています。
当然まだあの8名の彼らは団体に根付いてもなければ、ロータリーというのは何なのかっていうのもわかってないですし、私もまだ入
会して4年ですけども、最初わからないのにどんどん役職が振られてきて困ったもんだなと思ったときもあったんですけども、それで
いいなと思っていて、自然と責任感とか、与えられた仕事に関してなんだろう?って自分で知るっていう能動的に動いていくので、
ど んどん彼らにも委員長じゃないですけども責任のある、担当の仕事を与えていきながら、楽しい夜の会だったりゴルフの会だった
りと並行してロータリーを一つの仕事を、一つの委員会をグループで達成していく、それによって会長エレクトがおっしゃった通り、
職業奉仕という形に繋げていって仕事も増えた、人脈も沢山出来たっていうのを、8名の彼らが今まで作ってきた自分たちの人脈だった
り友達だったりに話してもらえるようなことは最低限していきたいなと思っています。
実際会長エレクトと考えていることはあります。また、時期が来ればみなさんにご提案したいと思っています。私の方は以上です。
中村会長 :今年は50周年をスタートするときに「もっと職業奉仕の話もしたいよね」と佐久間幹事とも話していました。
それでもやはり一年間しかない中で、あれもこれもっていう風にすると、結局中途半端になってしまって、形ができない。
というか、そういう部分は単年度制の弊害なのかな?とも思うんですよね。
で、今、会長エレクトと次期幹事が次年度の様々な方向性を描く中で、次の会長ノミニーと次々期幹事がその辺をどういうふうに
繋いでくれるかというのはすごく大事かな。と思うんですけど、その辺は?
白石会長ノミニー:まだね、橋本次々期幹事とほとんど話をしてないからこれからちょっと定期的にやっていかないかんかなあと思っています。
ちょっと感じたことだけで言うとですね、会員増強、これが一番にありきなのは僕はちょっと違うかなと、佐倉クラブの活動を保障す
るには50人ぐらいのメンバーがいいと思って、増強を一番に目標に掲げるのはいかがなものか!?
それで佐倉クラブはどんな活動したいのって言ったときに、やっぱりエレクトと同じだったんだけど、ロータリークラブは職業奉
仕、あといろんな形がありますけど、まず身の回りは固めていきたい。
それと会長が書いてくれたんだけども、持続可能な社会、これが今の時代のキーワードのような気がする。まあ、結局は今の社会が
目指す方向はSDGs。じゃあ社会の目指す方向に向かって我々は職業を通じて、どういうふうな方針というか、社会を実現していくこ
とに貢献できるのかなあ?ということを、具体的な方向性を示すことが必要なんだろうなと。
まあ、基本に立ち返ろうという気がするんですよね。とりあえず、そんなところかな。
橋本次々期幹事 :僕もやっぱり佐倉クラブの人間関係がすごく楽しくて・・・。
今回幹事っていう大役をもらったときに、やっぱりそういうのをやんないと、もっと前に出られないっていうか、僕も相沢次期幹事と
一緒で、いい機会だなと思っていて、人間関係がすごくいいクラブなので、そこの売りはもう絶対的で・・・。
あとはやっぱり弱みをどうしていくか!!
今会長さん、お三方の話もありましたけど、やっぱり1年でこうやるっていうのは難しいから、同じ共有目的を持って。佐倉クラブが
何をしていくのか、重要なのかっていうところをもっと話せてそれを何年も続けていけたら、人間関係が良い、人柄がいい人が多いの
で、そこは別に崩す必要はなくて、弱みの部分をもっと改善していければ、入ってくる人たちも楽しく社会奉仕とかもできると思うの
で、そういうことを話せる機会っていうのが、今日でもあって、こういう機会がやっぱり多くあった方が何かやっていてわかりやすい
なって、共通認識みたいなことがあるとやりやすいという。感じです。
さっき会長ノミニーが言った会員増強が前面に出るのはどうなのかなと言っていましたが、確かに僕も何年か前のときに50周年まで
に50人にしようよ、みたいな話がいきなり持ち上がって、そんな話全然出てないのにいきなりだったので・・・。
白石会長ノミニー:いや、ちょっと言葉が足りなかったけど、僕は会員増強も必要だと思う。
必要だけれども「それを最終目標にしちゃ駄目だよ」って言っているだけで、一人でも多くの人達が、共に人のため、地域のために考
えて動くことは素晴らしいと思います。
弱みの所は、さすがって思わせるのはやっぱり佐倉クラブの確たる方向性というか?、打ち出していないから「仲良しクラブで集ま
っているだけじゃないの?」と、いうふうに見られてしまうところが弱みなんだと思います。
中村会長 :その方向性っていうのは、単年で出る方向性にはならないじゃないですか!?。
だから、国際ロータリーのRIビジョンがあるのは、わかるって言うか、だから助かるっていう部分ではあると思います。
~私たちロータリアンは、世界で地域社会で、そして自分自身の中で持続可能な良い社会を生むために、
人々が手を取り合って行動する世界を目指します~
白石会長ノミニー:そうですね。
橋本次々期幹事 :ただ、これ自体はすごくいいんですけど、どうしても抽象的になっちゃっているので、会員が集まってくる中で、どうしても佐倉クラ
ブって何しているの!?って問われたときに、瞬時に答えられないんですよ。
それがやっぱりロータリーって何?何してるの?っていうことに繋がっちゃうんで、そこをこれから今回の対談をきっかけに考えたい
と思います。
ちなみに他のクラブよりも、佐倉クラブは「人間関係を土台にしていく」っていうのもいいと思うんですよね、今日答えは出ないかも
しれないけど、強みを打ち出すのもすごくいいと思いますね。
中村会長 :例えば、持続可能な良い社会っていうところにフォーカスを当てようとすると、子供の教育っていうか、勉強を教えるっていうことじ
ゃなくて、その子供たちにとって良いことを毎年クラブとして、何かやっていこうっていうことが一つ、対外的には佐倉クラブが毎年
そういう事してるよね。それが今年は命の授業だけど、講演会に固執する必要もない。
だから、ある年は、子ども食堂的な仕掛けでもよいと思うし。何か子供たちのために我々がしてあげられる、何かしよう、みたいな
ものがあると方向性が絞れてくるのかなっていう感じはするね。
なんで子供なのっていうときに持続可能な社会を作るためには、そういう事が必要でしょっていう答えに行き着くのかな。
白石会長ノミニー:いい方向性だと思います。
橋本次々期幹事 :僕もそう思います。
もちろんSDGsには高齢者とかもちろん入っているけれど、新しい未来のためということを考えると、子どもが対象になって行く部分は
多いと思います。
白石会長ノミニー:全部焦点を当てる必要はない。子供に焦点をあてての子供食堂でもいいともう。
でね、僕なんか思うのは、ロータリーが子供食堂をやる必要はないんですよね。
子供食堂をやっておられる方に背後から支援するという役割がロータリーじゃないかなあと思う。
相沢次期幹事 :手前味噌ですけどうちの弟が入会しましたもんですから、フードトラックがあり余ってますから、
なんだったらすぐ行かせますよ・・・(笑)。
中村会長 :今までのロータリーっていろんな団体に資金的な提供をする傾向も強かったように思うのですが・・・。
表舞台で自分たちが動くロータリー活動はちょっと違うという意見もあります。そのへんはどう感じていますか?
佐久間幹事 :僕はそうですね。
活動に背後で資金を提供するイメージが強く「あまり表に出るもんじゃない」っていう。思いが強いんですよ。
わかりやすく言えば「社会奉仕」より「職業奉仕」のイメージ。
さまざまな職業やスキルをもつ人たちがアイデアを寄せあい、世界や地域がかかえる問題に対する独自の解決策を見出すために、ロー
タリアン各自が高い倫理基準を保ち、個人として、また事業および社会生活において、日々、奉仕の理念を実践するのがロータリーな
のかな?と・・・。
白石会長ノミニー:だから、以前話しが盛り上がったフードトラックですけど、それ直接やるのかと思ってたんですよ、実は・・・。
相沢次期幹事 :なるほど、それは間違ってるんだ・・・。
佐久間幹事 :いや間違っているとか間違えてないとか、それが合っているとか合っていないでなく、
そういう表に出て活動するのは、他団体でもやっているじゃないですか、いろいろやっているけれど、
ロータリーの精神って「要は黒子じゃないですけど、全面に出ることじゃない」って思う点があって・・・。
白石会長ノミニー:やはり職業奉仕なんだよね。「自分の職業を通じて、社会に貢献できるようなことができるんだよ」っていう!!
佐久間幹事 :そう、個人的にはそんなイメージしかなかったんですよ。
中村会長 :前会長の時に、クラブメンバーに対して、佐倉クラブへの思いや疑問、こうしたら良いなど、そういうことがあったら書いて下さいっ
ていうアンケートとったら「もっと自分たちで活動したい。」っていう意見が非常に多かった。
白石会長ノミニー:多かったですね。
あの時はじっとしていたんだけど、でも前会長がああやってアンケートをとった結果、クラブを考える思いも高まり、ものすごく我々
は今、いい方向にいるんじゃないかなあと思います。仲良しクラブではないですからね。
中村会長 :別に、黒子に徹する精神を否定するものじゃないけど、でもずっと黒子でやっていると、
日の目を浴びずに、あの人たち飲み会やって騒いでゴルフやって楽しんで、何の集まり?って誤解を与えかねない・・・(笑)
佐久間幹事 :でも最近、会長と他クラブを回らせてもらったんですけど。
他クラブで「ロータリークラブの活動」みたいなチラシを入れようという話があって、だいぶ私の思っているロータリーとイメージが
違っていて。
人に入ってほしいから、自分たちがこういうこともやっていますよってPRする手法になったかもしれないけど、表に出て何かやるよう
になっているっていうのが、ちょっとびっくりしたんですよね。
だからもう時代は変わってきていて、それもいいのかな!っていうふうに俺はちょっと思いました。
相沢次期幹事 :黒子というか、影みたいな存在という印象にしばられて活動を抑制してしまうほうが怖い。
幅広い奉仕活動をする中で、会報とか、チラシみたいなのを配って活動を知ってもらおうというのは別にいいと思います。
白石会長ノミニー:佐倉クラブは子ども食堂応援していますというのは表に出ていいんだよ。どんどん出してもらった方がいい。
何しているかわかってもらうためには。
相沢次期幹事 :だって何もない広場に500万円を出して石碑まで建ててさ、ちっとも黒子じゃないですよね。
白石会長ノミニー:いや、あれは佐倉市民が活動できる場を作ったんだと、黒子の活動だと思うよ。
桜を植えることで終わりじゃなくって、それで人が集まれる広場を作ったんだから。
これから形作っていくのは佐倉市民なんだよね・・・。
私たちは大勢の人達の活動を広げるきっかけを提供したに過ぎない。
もっと言えば、表も裏も無い、傍観者ではなく自ら課題に取り組むだけ・・・。
調和が大切なんじゃないか?と・・・。
相沢次期幹事 :まあ、いずれにしても、子供をターゲットにしたいですよね。この持続可能なっていうところでは・・・。
白石会長ノミニー:子ども食堂だけでなくて、いろんなことを考えて。
相沢次期幹事 :まあ、子供たちのための色々な仕掛けを模索していきたいですね。
橋本次々期幹事 :いいんじゃないですか?子供をテーマに続けていけば、命の授業から始まって、食堂やったりとか、その土台を作れるような感じで、
代々やっていければ。
中村会長 :僕らが知らないような、子どもに関するいろんな問題があるみたいだから、それ1年の間に一つ事業をやったから解決するかっていうと
そうじゃないと思うんだけど、行動することで見えてくることもあるよね。
橋爪会長エレクト:とりあえずこうやって方向性、ターゲットを次世代の子供達と決めておけば、我々のアンテナが立ってくるから、自然と情報集まりや
すくなると思うんです。
白石会長ノミニー:そういうもんなんじゃないの。
橋爪会長年度で立てた方向、方針が年度内で完了します。
ダメだったら、辞めます。 良ければ「はい、私引き継いでいきます」っていう活動でいいんじゃないの。
相沢次期幹事 :話しは変わりますが、橋本次々期幹事の会社がやってる細工の椅子作り。ああいうのもいいよね。
あれはたまたま幼稚園がご近所さんということでやられたのか・・・?
会社の職人さん、大工さんが子供たちに椅子作りを教えている。全部切ってある材料あるでしょ?それを組み立てるの?
橋本次々期幹事 :ネジ穴も開けといて、トントンってやれば出来るようになっているんです。
相沢次期幹事 :どこにどうやって、ここに木入れたら、ここで補強ができてとか・・・。
橋本次々期幹事 :「子ども工務店」って言ってやっているんですよ。すごい人気ですよ。
幼稚園の方で30人募集するんですけどもすぐ埋まっちゃって・・・。
でも、できないんですよそれ以上は、スタッフ10人位をやるんですけど、見れて30人ですね。
中村会長 :それって、ロータリーとタイアップしたら幼稚園だけでなく、もっと広げられる要素はあります?
橋本次々期幹事 :もちろんあります。
富里の保育園とか他地域の幼稚園とかもやってくれないかって来ます。
結構反響あるので、幼稚園だけで無く広げようはあるかと思います。
中村会長 :まあ、ここで何やろうって決める必要はないけどいろんな可能性はありそうだね。
結論として、今後数年間の方向性としては持続可能な良い社会を実現するために、佐倉クラブは佐倉の子供たちに、良いこと、プラス
になることを企画実践していこう!。ということでまとめたいと思います。
理事会も通っていませんが・・・(笑)
今夜は有意義な話ができたと思います、皆様、ありがとうございました。










Memoir 25 years ago
25年前の回顧録
温故知新の50周年スローガンにもある通り「古きを訪ねて新しきを知る」とは、
まさにロータリーの本質(原点)を探求し新しい時代のロータリー活動を行っていこうとの決意を表したものです。
つきましては、 創立25周年時に行われた「記念座談会」をご紹介します。
■記念座談会「25年を回顧して」
宮本:今から佐倉ロータリークラブ25周年記念座談会を開催いたします。
出席考はチャーターメンバーの都築会員、能勢会員、梅沢会員、それに所用で遅れて出席される田中会員です。
なお、編集委員会からは、私、宮本と記録係の益子会員が努めさせていただきます。
(1)創立当時の経緯
宮本:佐倉ロータリークラブ(以降、佐倉RC)が設立された当時のいきさつについて教えて下さい!!
都築:1970年頃、八千代RCが創立後3年目位だったと思いますが、当時佐倉にもロータリークラブを創ろうという話しが持ち上がりました。
私は八千代RCへ在籍して2年目位でしたが、そんな話しは全くもって知らされておらず、当時一緒に八千代RCに在籍をしていた、
宮下寅之進さんが私を佐倉RCのチャーターメンバーにしようとしたのです。
私は八千代で生まれ、八千代で工務店、勝田台で焼き肉屋を営んでいたので、八千代RC以外考えてもいませんでした。
在籍3年目を迎える頃でしょうか?佐倉RCを創るという話しを初めて耳にしたのです・・・。
宮本:宮下さんの狙いだったのですね?
都築:そうです。ところが宮下さんは全然表面に出てこないのです。相談したくとも遇わないのです。
八千代RCの皆さんばかりが私の店に来たり、工務店へ来たりして佐倉RCの創立を薦めました。
思えば、八千代RCも佐倉市にロータリークラブが無いので発破を掛けられていたらしいのです。
宮本:それで八千代RCのメンバーの間で佐倉RCの創立が進められたのですね?
都築:はい。
宮本:ちなみに例会場は何処でしたか?
都築:船橋信用金庫の大和田支店だったと思います。
私を含めて八千代RCの会員達も経験が浅い中、相談するにも要点を得ない。能勢操さんや田中勘一さんの所へも相談に行きました。
PTAをやっていた志津の仲間に話した所、「佐倉はライオンズクラブ(以降:佐倉LC)が先に出来ていたので難しい」とも言われました。
ですが、私も若かったですし、やるしか無い状況にかられ、志津地区を中心にしようとしたのです。
PTAの仲間や、建築屋の仲間とかを一生懸命誘ったのです。結果、志津地区の会員が増えてしまいましたが・・・。
能勢:当時、総数27~28人中、志津のメンバーが13~14人いましたね。約半数。
都築:佐倉市のある議員さんに、「職工組合をつくったのか?」と冗談をいわれた覚えもあります。
能勢:旧佐倉地区では、宮下さん、田中さん、山崎(山さ建設)さん、篠崎さんという医者がおりましたが、その他何人もいませんでしたね。
梅沢:臼井地区では、蕨さん、武藤さん、有坂さんと殆んどが志津地区で方でしたね・・・。
宮本:旧佐倉地区は集りにくかったのですか?
能勢:佐倉LCが出来たのは八千代RCが出来たのと同時期でしたので、佐倉LCも勢いがありました。
宮本:宮下さんは、どんな佐倉RCを築こうとしたのですか?
能勢:宮下さんでないとわかりませんが、「ロータリークラブは逃げないのだ。“とにかく焦らず”に・・・。」と、
親睦を優先していたように思います。
メンバーは若いし現役なのだから「仕事優先にして、ロータリークラブのことを忘れずにいれば良い」
「出席については、その内に馴染んでくれば出てくるのだから」と・・・。
都築:その通りになったのですが、どんどん抜けていきましたよ。
ロータリークラブがどんなものなのか解らないのだから、早くいえば「お前は入れよ!!」と騙したみたいなもので、
積極的に勧誘されたので入ってはみたけれど、何か「堅苦しくて面白くない」と言って、どんどん抜けていったんですね。
ですから最初は出席率が非常に悪かったですよ・・・。
梅沢:創立の頃は居なかったので解りませんが、佐倉RCが飛躍的に固まってきたのは創立から5年目位だったでしょうね・・・。
(2)交換学生と佐倉クラブの第1次危機
梅沢:都築さんが会長になった1975~76年に、交換留学生を2人いっぺんに受けて出したんですよ。
来た子が良かったと言うか、優秀な生徒でしたので、交換学生を招いた事で家族ぐるみの交流が活発になり、
佐倉RC自体も非常に盛り上がったんです。
今考えるとちょっとやり過ぎた所はありましたが、当時、ワーっとクラブ全体が集中していきました・・・。
都築:盛り上ったというか、私の年度は交換留学生に始まって交換留学生に終わったような1年でした。
私の前の設楽会長の時も交換留学生を出そうと言うことで盛り上がりましたが、
それが引き金となって問題が起きたり、退会した会員も出ました。
平均年齢が若かったですから、わが子が可愛いやね・・・。
私の前の会長のときも交換学生に出そうということで、それが引金となって退会しなきゃならなくなったということがありました。
宮本:そういう悲しいこともあったのですね。
都築:結局、ロータリアンといったってね、若いですから、田中さんがよく知っていますが、お客扱いにしてしまってね。
宮本:青少年交換委員会でよく言われますね。
都築:分区の方から叱られたりね・・・。
宮本:移ったときにサービスが悪いと言われたりしてね。
郡築:帰るときには、物すごい荷物になっちゃったりしてね。どんどん買ってやってね。
そんなこともあって、良い面は会員の纏まりがついて良かったのですが、過ぎたるは及ばざるが如しで・・・。
それが宮下さんのいわれる「ロータリーは逃げません」がそこに出てくる訳ですよ、やり過ぎてしまって、
そればかりで他の方は余り関わらず予算もなくなってしまってね。
宮本:考えてみればロータリーは、あれもこれもやっていたらもたないですね。
能勢さんもご子息を交換でお出しになったのですね。それについてお話下さい。
能勢:家の子と田中さんのご子息の2人でした。
ところが家の子は翌年行く予定だったのが、予定されていた八千代の方のお父さんが病気になったので、ピンチヒッターとなり、
翌3月出発する予定を、前の年5月に、10か月早く出発したのです。
オリエンテーションも何もやらずにオーストラリアへ1人で出発したんです。
宮本:田中さんのご子息さんは何月でした?
能勢:あの方は3月でした。カナダに行きました。それで1年に2人出すようになってしまった。
盛り上ったんですね。盛り上った反面、割と問題が起りましたね。
小遣いが1万円で向うから来るんですよね。足りないので最初クラブから2万円出したのです。合計すると3万円出したんですね、
修学旅行に出すのは当然で、学費やなんか随分かかりました。
宮本:当時の1万円でしたら、今に比べれば大変でしたね。
能勢:なんとかこなしてしまいましたがね。
宮本:私みたいに後で入った人間が、古い時代のことを調べていると、皆さん凄く一致団結してクラブのプロジェクトにあたっているんで
感心しますよね。正直いって私が入れで貰った頃は倦怠期みたいでしたね。
又、台湾とか韓国とかの海外へ会員皆で旅行されたのですね。
そんなのを聞くとね、今では国内旅行といったって中々行かないのに、海外に皆さん揃って行ってたのですね。
能勢:最初に行ったのは都築さんでオーストラリアですね。
宮本:その辺の話を明かして下さい。
都築:結局交換学生に行った子供がホームシックにかかって打ちとけないと、オーストラリアから手紙がきて、15~16人で行ったんです。
宮本:こちらから行った子がホームシックになったのですね。
都築:そうです。◯◯さんという子でした。
そんなことでオーストラリアに行きましたら大歓迎して貰って、
そのお返しといっては何ですか、今度は向から遊びに来て貰ったりして・・・。
宮本:高校生の交換でなく、保護者の交換ということになったのですね。(笑)
都築:とにかくお金がかかりましたよ。あの頃は。
その反動といっては何ですが、余り学校との問題とか色々問題が多くあり過ぎちゃって、交換留学生だけで全てが終わってしまい、
二人いっぺんではダメだということになりました。
宮本:田中さんがその頃、交換学生の地区委員になられたのですか?、。もうちょっと後でしたか?
梅沢:そういうことから、一部会員の中でエリート意識というか“ロータリーは量より質だ”というような考え方の人が、
幅をきかしてきちゃったのですよ。それが第一次の危機だったでしょうね。
あの時盛り上り過ぎたのが原因で、エリート意識みたいなのが出てきて、佐倉ロータリーの危機みたいになりました。
創立7~8年の頃でしょうね。
宮本:今、交換学生がクラブのお互いのチームワークを良くする原動力であったという話があったのですが、
またその歪みがでたということで、ある意味でいうと倦怠期というか、新世帯でいえば7~8年目だそうですが、
その辺あたりのことを聞かせて下さい。
梅沢:結局ね、お金がかかりすぎたんですよね。
ロータリアンだから金のかかるのは当り前だと、金のかかるのがいやならロータリアンの資格はないと・・・。
ロータリアンは量では駄目なんだ、質なんだと。
ロータリアンの質について勘違いしているんですね。
人間的な質の良さではなく、要するに金のある人をロータリーに集めようということなのです。
宮本:門地・門閥・財閥・財産のあることが必要だというのですね。
梅沢:そういった方向に行きはじめた時があった訳ですね。それがロータリーの第一次危機というか7~8年頃でしょうね。
宮本:私は10年目位までずっと順調にいっちゃったのかと思いました。(ここで日中会員が出席する)
今、田中さんが遅れておいでになったんですけど、またここでお話しを伺いたいのですが、
ロータリーの会員同士のコンセンスができてチームワークが出来たのは、交換学生を預かってからだと、
今、そういうお話しなのですが、10年前の色々な思い出とか、危機ばかりでなくて結構なのですがお話し願いますか?
田中:私は今お話に出ました交換学生の委員を長くやっていましたので、話題がその方面に行くと思いますが、
今、お話のあったように交換学生を出すこと、受けること、これが奉仕であると、
たしかに奉仕は奉仕に違いないのですが、あの頃は25~26人のメンバーですから、ホストファミリーをやったり、外国へ行ったり、
財政的にも大変だったんですよ。
どうしてもかかわっている人達の負担が大きくなる。別にエリート意識をもつ訳じゃないけれども、
そんなに夢中になってやることはないだろうという冷やかな目をもった会員と、夢中になってやっている会員と、
私は夢中になった方なのだけれど、それがうまく調和できませんでした。
私は昭和50年から私の憶えでは55年まで5年間地区委員、委員長をやりました。
その立場上、皆さんの反対を押し切って2人受けたこともあるし、3人になって困っちゃって他所のクラブに廻したこともあるし、
学校にも無理算段してお願いして受けて貰ったこともあるしで、大変骨をおりました。
しかし自分でまいた種子でもあるし、骨をおるのも当り前で、殆どロータリー生活をそれで費いやしてしまった訳なのです。
宮本:交換学生に歪みもあったけども、ずっと毎年1人ずつだけでも受け入れていった。
それにはご苦労もあったのですが実績もあがったんですね。
ただ20名足らずで交替にほかの人を預かると、3ヶ月に1回預かるとしたら大部分の人が預かったことになりますが、そうですか?
それとも特定の人が引き受けたのですか?
田中:いや、5つのファミリーかな。
宮本:佐倉西クラブ(現:佐倉中央RC)の人数が少ないでしょう。
少ないけれど何かクラブ全員が一致団結できるような目玉が欲しいと思います。
そんなことで佐倉西に何かヒントをと思い、例えばWCSの支援を少しづつのお金を集めてするとか、
西クラブでも何か目玉になるプロジェクトをやったら良いと言ったんですがね。
そんなことでこの座談会でも西クラブに、ホストクラブとしてお役に立つことができたらと思っているんです。
そんなことを含めてお話し下さい。
都築:交換学生はロータリーの諸刃の剣なのですね。良い面と悪い面が出やすいんですよ。
ガバナーまで務めた方が、一生懸命に交換学生をやり過ぎて失敗してしまったことさえある訳で、
確かにまとまりがついて、家族ぐるみのお付き合いができて、非常に良いのですけど経費がかかり過ぎるので、
どうしても突っ走る人が陰口をきかれたり、辛い思いをしたりするんですよ。
交換学生は素晴らしい制度なんですよ。財団奨学生もそうですけどね、
やっぱり佐倉RCの経済や人数にあった出し方をしないと「諸刃の剣」になってしまうんですよ。
この点よく梅沢さんと話し合いました。
梅沢:交換学生で一番問題なのは、お互いに善意があってのことなんですが、意見がまっぷたつに分かれてしまうことなのですよ。
例えば自分の子を交換学生に出しますよね。
むこうに行っていろいろお世話になっているんだから、むこうから預った子供にはできるだけのことをしてやるのが当り前だ
という考え方。
もうひとつはそうではない、ロータリーの交換学生として預かるんだから、自分の子供が云々ではなくて、
皆の責任において預かるんだから、お金をあまりかけ過ぎたり、面倒を見過ぎては、駄目なんだという考え方とがあるんですよ。
これは両方とも善意なのでね・・・。
だけど考え方が全く二つに分かれてしまうのです。これが佐倉ロータリークラブの場合、極端だったんですよ。
宮本:事務的な考え方と、情にかられた考え方とに分かれたのですね?
梅沢:しかもそれが同時だったんですよ。
いっぺんに2人を受けた、それぞれの親が全く対象的だったんですよ。
宮本:例えばAさんが預ったときは情にかられ、次にBさんに行った人は事務的になったということだったのですか?
2人のアメリカ人なりカナダの人がきて、それぞれの待遇がでこぼこだったんですか?それとも特定の人を?
梅沢:結局は受けたんだから面倒を見ようと兎に角、珍らしかったのですよ。外国人をホストするということがね。
当時殆んど佐倉には外人がいなかったんですよね。特に白人なんかね。
そういう状況だったんですから、受けちゃった以上、皆で目一杯面倒みちゃったんですよね。
宮本:それはショックでしたよね。
能勢:一人で2万円も3万円も小遣いをやったんですよね。
梅沢:私は娘を出したので皆に迷惑をかけちゃいけないということから、そのことに対して非常にシビヤにやるべきだと主張したんですね。
ところが片一方は、そうではない。目一杯を見るべきだというのと・・・。
ひとつ実例を話せば、交換学生を京都のお茶の裏千家の宗家へ連れていったんですよ。新幹線のグリーン車で行ったんです。
連れて行く人は大変ですよ。10~20万円の出費になったんですよ。そこまでいってしまったのです。
都築:そこで宮下さんの「慌てなさんなよ、ロータリーは逃げはせん。そんなに夢中で皆がわあわあやっていては息切れしてしまうぞ」
という言葉が、ちょいちょいでてきたのです。
宮本:それでいろいろあって、最近やっている交換学生の落ち着きになったのですね。
どうも有難うございました。
(3)会長時代の思い出
宮本:それでは皆さん会長時代の思い出として、特に印象に残っていることをお話下さい。
梅沢:私のロータリー会長の時にあったことなんですけどね。私の会長になる1年前ですが、
ロータリーで銀行からロータリーハウスを買っちゃったんですよ。マンションを買った訳ですよ。
ところがロータリーは法人ではないから登記できないんですよね。
マンションを買ったけども結局個人名義にしなければならなくなり、幹事の名前にしておくこととしたが、
幹事にもしものことがあった場合どうするか?など、いろいろな問題があって
弁護士に相談するとか、いろいろやったが結局売却しなければならないことになった。
ロータリーハウスを処分することができれば、これひとつで何かやったことになると思ったのです。
運が良かったのは価格が下っていなかったので始んど損を出さないで処分できたのです。
全員が賛成して買ったので、頭金は年会費を引き上げてその中からローンを払っていったのです。
頭金はいくらか出しました。あとは三井銀行で借り入れをしたんです。
宮本:いくら位の物件でしたか?
梅沢:たしか?当時1300万円位だと思いました。ワンルームではなく3DKでした。
宮本:日的は?
梅沢:ロータリーの第二ハウスですよ。
例会が終わったあと、そこで小唄をやったり、趣味の詩吟や囲碁、麻雀をやったり、またホームバーを造ったんです。
そこにお酒を置いたりしました。
そしてカラオケボックスをおいて利用した人は何がしかのお金を出すようにして、それの維持費としました。
宮本:ユニークな発想ですね。
梅沢:良いムードでした。
宮本:ロータリーハウスは2790地区だけじゃなく全国に、他にも例があったのですか?
梅沢:無いです。
それもガバナーに聴くとマズいと言うんですよ・・・。
宮本:ロータリーは1時間でやって、あとは各々職場に戻るんですね。それ以上続けてやっては・・・。
梅沢:いや、夜もやっていました。
宮本:ファイヤーサイドミーティングですね。
宮本:その雰囲気を今の新しい佐倉クラブでも欲しいものですね。
それでは次に旅行の話を聞かせて下さい。
さっきオーストラリアへ行かれたとか?また台湾で例会をやったとか・・・。
能勢さんからお願いします。
能勢:丁度9年目でした。私が会長の時に大道寺さんと牛越さんがお先棒になったんですよ。
旅行計画をたてたんですけどね15~16人行ったかな?
メンバーの他の人も行きました。高橋佐一さんの奥さん、杉浦さんとか女性が5~6人行ったんですよ。3泊4日で...。
宮本:その頃、会員は何人でした?
能勢:30人位でした。
都築:とにかく楽しかったですよ。
宮本:私はマンネリ化したクラブの頃に入れて頂いたんで、海外に旅行したということは驚きでした。
海外に皆で行く位チームワークが良かったんですね。
佐倉クラブが今25年たったんですが、最初のダッシュの時期が定石通り10年位ですか、旅行したのが9年目ですか、
大体想像できますね。
能勢:その後、環太平洋会議があったんですね。
メルボルンで、その時私と田中さんと津田さんと長谷川さんと息子さんとうちの子供とで行ったんです。
宮本:10年以降のことでクラブのメンバーも大分変ったそうですが、
いわゆるダッシュの時期から安定期に入ったその頃の話を聞かして下さい。
田中さん一つ・・・
田中:ちょっと言いにくい話しですが、有る会員が倒産を含むトラブルを起こしたのですね。
それで会員増強に歯止めが掛かってしまった。
会員増強に訪れて行った先々で、非常に評判が悪かった。「なんだロータリーか」というような調子で・・・。
私の憶えでは10周年記念をやってからの約10年間は雌伏の年でしたね。頭を下げっぱなし、どこへ行っても・・・。
それで会員も増えない、増強もできなかった。
ところがそれから約10年たちますと、知っている人は知っているけど、知らない人にはあえてこちらから話さなかったので、
増強ができてきたのです。「人の噂も七十五日」ということですね。
宮本:どうも有難うございました。
(4)財団奨学生と問題点
宮本:次に移らせて頂きます。財団奨学生のことでお話し下さい。
梅沢:都築さんが会長の時ですよ。IというY社の社員を財団奨学生としてアメリカに出したんです。
非常に成績の良い子だったんですよ。大学を卒業して会社に勤めていたんですけど、
成績が良かったので、むこうの大学から博士課程をとれと、もう少し残ってアメリカで勉強したらどうかといわれたんですよね。
彼が佐倉ロータリークラブに連絡をとれば良かったんですが、頭を越えちゃってガバナー事務所と直接話を詰めちゃって、
もう1年むこうで勉強することにしたんです。むろん財団奨学生には1年間しか資金を出さないんですよ。
ところが引き続いておこうにいこうということなんですね。
これに対し佐倉ロータリークラブで反対する人が出ちゃったんですよ。
それが当時Y社が倒産するか?どうとかの問題が起きていたのです。そのように重大な時に社員であれば帰ってくるのが当たり前だと、
それを帰ってこないで白分の勝手でむこうで勉強するのはとんでもないというようなことで、
何が何でも帰ってこいということになった。
それで都築さんが会長で私が幹事だったのですが、これはまずいと、
ガバナーと相談し、地区委員にも相談したりして、会員をなだめて、
そんなこと言ったってせっかく優秀な子供を出して、むこうでもそういう状態になっているのだから、
何とかもう1年勉強させてやろうじゃないかと・・・。
せっかく行かせてやって、あとで佐倉ロータリークラブのお陰で博士になりましたというのと、
邪魔されちゃったが後は自分でやったのだと、言うのとはえらく違う。
ロータリークラブでせっかくそれまでやったことが不意になっちゃうよと。
もう少し面倒見てやろうと都築さんと私でガバナー事務所に行ったりして、また会員を説得して、会議を開いて、
その問題について協議したんですよ。それで何とか良いだろうということになったんですよ。
それでガバナーにお陰様でやっと了解をえましたからといったんですよ。
ところがクラブでまた駄目だと反されちゃった。
ガバナーに了解を得てきちゃったんで、われわれの立場がなくなってしまうといったんですが、
あくまでも駄目だというんで困ってしまいました。
その時、N自動車の社長の森田さんが、わざわざ佐倉クラブに来て税得して下さったんですが駄目でした。
その元凶だった人が、その後にまた財団で次の問題を起こしたりしたんだけれども参りました。
宮本:ともかく財団奨学生のことはやっぱり国際交流の一環でもありますし、お金をかけることに意見があるのでしょうね。
結局2年引き続いてガバ ナー事務所の方もお金を出してくれることになったんですか?
梅沢:いやお金は出さなかったんです。
宮本:そうですか、一応居することを認めるということになったのですね。
都築:交換学生はルール通りやる子弟ですから良いですけど、財団奨学生はうちで何人もやったけれども、余り結果は良くなかったね。
田中:わがままが強すぎたね。ルールを守らない。
宮本:大人だしね。
都築:佐倉西クラブがやるとしたら、交換学生をあまりやらなければ良いと思います。
宮本:私が交換学生といったのは、佐倉の場合だと
例えばWCSのために具体的なプロジェクト抜きでもお金だけを集めて準備しておくといった意味ですからね。
都築:帰ってきた子は成長していますよ。
宮本:高校生の生活態度に佐倉RCが育てられた。逆に生徒にね。
梅沢:財団もそうです。財団で行った人は帰ってきて結構いい地位についているのです。
相当プラスになっているのですよ。しかしその割に行ったきりなんですよね。
都築:利用だけされて、金だけ使っちゃってね。金がかかる訳ですよ。何百万円とかかるんですよ。
能勢:親が1回も来ないということはないよね。私だったら感謝の意を表しますね。
梅沢:財団のことでは何回も文句をいったことなんだけど、
財団の地区委員の奨学生に対する考え方とか、やり方におかしいところがあるんですよ。
田中:それは我々のクラブがベースになっているにもかかわらず、我々クラブをこえて直接交渉しているからですよ。
梅沢:こういうことがあるんですよ。
例えば福留さんの場合もそうなんですが、イギリスに留学がきまる前にもうイギリスにいたんですよ。
留学するのに日本に呼び戻す必要はないだろうといったら、それは駄目なんだという。
あくまでも財団奨学生として送るんだから、日本から行かさなきゃ駄目だと、
だからロータリーの悪口をいうみたいだけど形にとらわれ過ぎていると思いました。
宮本:財団奨学生については、佐倉をスポンサークラブとして送り出すのが何回かあったけども、利用だけされる佐倉クラブは
正直な会員が多いから、ロータリーのプロジェクトは良いことだから、ひとつやってやろうということだと思うんですね。
だけどある面では、財団奨学生を出す以上は、指導したり呼びつけたり或いは報告させたり、
後で財団奨学生OBとして何か役に立ってもらう。そういうことが熱していないといけないと思います。
クラブとしてそういう面はどうなんですか?
梅沢:今後は指導していかねばならないと思います。
宮本:財団の地区委員が「もっとスポンサークラブを大切にしろ」と指導しなくてはいけないということですね。
(5)25周年をむかえての感想
宮本:いろいろ紆余曲折に直面されたベテランのパスト会長さんたちですが、ちょうど今年、25周年をむかえるのですが、
ここまでクラブのために又ご白身の成長のために寝食を共にされたのですけれども、
ここで一言づつ感想を聞かせて下さい。都築さんどうぞ
都築:さすがに25年経つと「大人になったなぁ」という気がしますね。
宮下初代会長に今の佐倉RCを見せてあげたいという感じですね。
田中:先程ちょっと申し上げたように、雌伏10年という年がありました。発展の良い肥やしになりましたね。
私も反省することが大夫ありまして、少し威張ったり、またおとなしくなったり、また生意気になったり色々起伏の25年でした。
宮本:田中さんにもう1つ聞きたいのですが、会員数は今60名になんなんとしており、
まあ今日の例会ですと58名と出席委員長がいってましたが。
ここ2年程、フレッシュな方、年齢は別として新しい血液が10何名も佐倉RCに入って来たので、
編集委員の1人としては、佐倉は心豊かなクラブなんじゃないかなと思っているのですが、どうでしょうか?多士済済で・・・。
ただ昔と比べるとちょっと今のメンバーは駄目だなあといわれれば、私達も反省していかねばならないと思っているのですが、
その辺お世辞抜きでいかがでしうか?
田中:ここでぐんと会員が増えたということは非常に有解いことです。
というのはロータリーというものはいろいろ新聞に書いたり広告に出したりして宣伝する訳ではないので、
25年経ってやっと一般の色々な階層の人に解って頂けた成果ではないでしょうか?
いろいろ今まで、我々は苦労しましたけれど、それは無駄ではなかったと思っております。
宮本:それでは梅沢さん。
梅沢:いろんなことがあるのは当然なんで、ロータリーも成長期があったり蓄積する時代があったり常にそういうことの繰り返しなんですよね。
一番大事なことは、常に原点にたち返って考えることだと思うんですよ、ある時期もう一回張り返る。
原点を振り返り、振り返りしながら発展していくとこそ大事なんですよ。
どんな会だってそうだと思うんですが、長くなれば慣例に流されることも、惰性で悪い方向に行くこともあるんですよ。
これは仕様がないと思うんです。ロータリーが90年も続いたということは、常に原点に返るということを忘れなかったからだと思うのです。
佐倉RCだってそうだと思うんですよ、惰性に流れたっていいと思う。そういうことを繰り返しながら、段々大人になってくるんだと思うんです。
宮本:では能勢さん。
能勢:私が会長になったのは9年目なんですよ。
9年目なので私を含めて皆ロータリーのことをあまり知らなかったんですよね。そのお陰で1年間務まったと思うんですよ。
とってもじゃないけど、今のロータリーでは会長はおろか幹事もほかの役職も全然つとまりませんね。委員長も・・・。
S.A.A.も2番手に座らせ貰っているが、委員長など全然務まりませんね。今のところそういう感想ですね。
宮本:今日は佐倉ロータリークラブ25年の足跡を振り返って、都築さん、能勢さん、田中さん、梅沢さんの4人のパスト会長、かつ長老に
いろいろお話頂き有難うございました。
聞き係が充分要を得ませんで、話が片寄ったりして申し訳ありませんでした。
ともかくいろいろご苦労なさったけれど、25年。を経た佐倉クラブはご講評をいただくと、まあまあだということのようです。
ただ、より良きロータリアンとして日々努力を続けていかなくちゃいけないということですね。
また、最初のうちは赤ゲット的なこともあったかも知れないし、ロータリーとはこんなものだろうと狙いを定めてやみくもに全力投球で、
よりよきロータリアンたろうと努力なさったようで、その試行錯誤の間に歪みがでたり、いい面をみつけたり、
いろいろ雌伏の時期もあったようです。
個人的な問題なのでしょうが、1人の会員個人が世間的な信用を失うとクラブ全体の信用にまで影響を与えるというのは、
非常に激しいことだと思うのです。これからも注意しましょう。
そういうことでいろいろなことを教えて頂いたんですが、ロータリーの基本的なものは別にして、そこに異業種の方が集まって、
しかも人生経験の豊かな人もあれば、まだこれからという人もあり、職業をひとつ背負いながら人間としてつき合っていくというのは、
25年間よくここまできたと、先程都築さんがおっしゃったけれど大変なことだと思うんですよね。
ただ我(が)だけを通したらすぐに空中分解してしまうだろうと思います。
編集者として気がついたのは、そうした中にも何時も自分自身をみつめるという気持がおありだったようだし、
それから皆さん結束してロータリーを見限らないでですね、それがここまで続けられた、大きな日の一つだろうと思います。
最近、クラブについて若い人ばっかりでどうのこうのという発言もあるようですが、
私はロータリーに入れて頂いた以上はこれを最高の自己啓発の場にすべきで、今の話を是非新しい人たちに聞いていたいと思います。
そしてもっと素晴らしい佐倉RCを有し、2790地区あるいは国際ロータリーがさらに発展するように一人ひとり我々が努力を重ねていく
そのステップが25周年じゃないかと4人の先輩の話を承って感じたところです。本日はどうも有難うございました。(幕)
(19966.9.5 創立25周年記念紙より引用)

都築会員

能勢会員

梅沢会員

田中会員

進行:宮本会員

記録:益子会員
ご祝辞

Chiba prefecture
Prefectural governor
Toshihito
Kumagaya
祝 辞 創立50周年を祝う
千葉県知事 熊谷 俊人
佐倉ロータリークラブが創立50周年を迎えられましたことを心からお慶び申し上げます。また、中村会長をはじめ、歴代役員並びに会員の皆様には、1971年の創立以来、会員相互の親睦を深めながら、様々な職業の方がその経験と知識を生かして、社会奉仕活動や人道的活動に取り組まれています。
皆様の活動は、貴クラブの発展のみならず、地域社会の活性化につながっており、大変心強く感じています。これまでの皆様の多大なる御尽力に対し、深く敬意と感謝の意を表します。
さて、県では、新型コロナウイルス感染症対策として、病床の確保やPCR検査体制の充実など、医療提供体制の強化に取り組むとともに、県民の皆様へ安全かつ速やかにワクチン接種が進むよう、市町村への支援を行っています。
また、感染症拡大防止と経済の両立を図るため、飲食店の感染防止対策を県が認証する制度や、中小企業等に対する事業継続支援など、様々な取組を進めているところです。
皆様には、新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策に御理解、御協力をいただいておりますことに、改めて感謝申し上げます。
住み慣れた場所で安心して医療や介護が受けられる医療・福祉の充実、災害から県民を守る「防災県」の確立など、山積する課題に積極果敢に取り組み、県民の命とくらしを守る県政を実現します。
また、子育て世代の知事として、当事者の目線を大事にした千葉県の子育て支援・教育の充実に力を入れるとともに、子どもの貧困対策・児童虐待対策に取り組み、どんな家庭に生まれた子どもであっても最善の未来を用意できる千葉県をつくります。
東京の隣にありながら豊かな緑と海に囲まれた千葉の魅力、成田国際空港や千葉港など空や海の港を積極的に活用し、千葉ならではの発展や豊かな生活を実現し、千葉の未来を切り開いてまいります。
そして私は、現場主義・対話を重視しており、今後、県内各地を積極的に訪れ、現場の課題や思いをくみ取り、630万県民の皆様に一体感を持っていただける、開かれた県政を目指してまいります。
不確定な時代、気候危機の中で、県民の命とくらしを守る県政を実現するため、職員、県民の英知を結集するべく、全力で取り組んでまいりますので、引き続き、皆様の御理解、御協力を賜りますようお願い申し上げます。
結びに、50周年の節目を迎えられました佐倉ロータリークラブのますますの御発展と、会員の皆様の御健勝、御活躍を祈念申し上げまして、お祝いの言葉といたします。
祝 辞 創立50周年を祝う
佐倉市 市長 西田 三十五
このたび、佐倉ロータリ―クラブが創立50周年を迎えられましたことに、心からお祝い申し上げます。
貴クラブは、昭和46年の創立以来、長きにわたり地域社会の発展や、子どもたちの健全育成に寄与する活動を続けてこられ、「社会を良い方向へ促したい」という願いのもと、佐倉市の発展に大きく貢献されておりますことに心から感謝申し上げます。
また、今日に至るまでロータリークラブの崇高な理念の下、地域の社会奉仕活動を支えてこられた、歴代会長をはじめ会員の皆様方に深く敬意を表する次第でございます。
近年、人口構造や社会情勢の変化、そして新型コロナウイルス感染症などの影響により、日々の暮らしを支え合う社会の脆弱化やコミュニティの希薄化が進行し、これまで以上に人と人との交流や、助け合いが充実した地域社会の構築が求められています。
こうした状況の中、新たな行政課題に的確に対応していくためには、貴クラブがこれまで積み重ねてきた「奉仕の心」に基づく活動が、市民と共に築き上げる「オール佐倉」のまちづくりを前進させるうえで大きな原動力となると確信しております。
佐倉市では、第5次佐倉市総合計画に掲げる『笑顔輝き 佐倉 咲く みんなで創ろう「健康・安心・未来都市」』の実現に向けて、人口減少や少子高齢化、高度情報化社会の進展などに対応し、SDGsの視点を取り入れた持続可能なまちづくりに取り組んでいるところでございます。
今後とも、本計画を市民と協働しながら着実に進め、佐倉市の全ての世代の皆様が、将来にわたり安心して暮らし続けることができる都市の実現に向け、全力で邁進してまいります。
このたび、創立50周年を記念し、50本の桜の木を寄贈していただきました。これらは市民の憩いの場である佐倉城址公園の大手門跡広場のシンボルとして植樹し、より多くの市民に笑顔と、桜が咲く新名所・観光地となるよう活用させていただきたいと考えております。
貴クラブにおかれましては、これまでご寄附をはじめ、佐倉市のまちづくり推進のために多大なるご支援をいただいていることに、厚く御礼申し上げるとともに、地域を支えようとする思いが、多くの市民の間に広がり、皆様と共に佐倉市が発展できることをご期待いたします。
結びに、創立50周年を契機にさらに結束を深められ、引き続き多様な事業を通し、地域の活性化に寄与されることをお願いいたしますとともに、皆様のますますのご健勝、ご活躍を心からご祈念申し上げまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

Sango
Nishita
Sakura City
Mayor

Rotary InternationalPresident
Shekhar Mehta

祝 辞 佐倉ロータリークラブ 会員の皆様へ
2021ー22年度 国際ロータリー
会長 シェカール・メータ
この度は、佐倉ロータリークラブの創立50周年に際し、心からお祝い申し上げます。
貴クラブが結成されて以来、皆さまは地域社会でロータリーを代表し、地域社会への恩恵となる有意義な活動を実施されてきたことと存じます。
私たちは皆、ロータリーへの入会を通じて、ロータリーの価値観、友情、そして「超我の奉仕」への献身を共に誓います。奉仕は、私たちが地球上で過ごす時間に対して支払う「家賃」です。
ですから私たちは、共に成し遂げたことを誇りとしつつ、これからも人びとの生活をより良いものにしていけるよう活動します。
ロータリーにおける奉仕、生活にもたらされる変化、ポリオから守られる世界中の子どもたち、これらはすべて、私たちがロータリーを通じて団結することで実現します。皆さまは長年にわたり、多くの課題に立ち向かい、この素晴らしい組織の一員としての義務を果たされてきました。
ロータリークラブは、それぞれが唯一無二の存在です。貴クラブにおけるこの度の功績は、ロータリーとその活動、そしてロータリーのビジョンに対する皆さまの熱意によって成しえたものです。
あらためて、貴クラブ50周年へのお祝いの言葉を贈らせていただきます。
「奉仕しよう みんなの人生を豊かにするために」のテーマを実現するため、
これからも、地域社会と世界のために奉仕を継続していただけますことを
願っております。
敬意を込めて・・・
祝 辞
国際ロータリー第2790地区
ガバナー 梶原 等(千葉RC)
佐倉ロータリークラブ 創立50周年誠におめでとうございます。
貴クラブは八千代ロータリークラブをスポンサーに山本靖郎特別代表のご尽力により1971年10月2日に創立されました。当時は千葉県を全域とする第2790地区が成立するはるか以前、千葉県と埼玉県の2県で第357地区が構成されていた時代です。この事からも貴クラブの大変に長い歴史を感じます。1970年代は私達千葉県にも17クラブが創立された時期です。ロータリーの輪が全国で私たちに身近なものとして各地域に拡大していた頃でした。
さて佐倉は江戸時代以降、好学の気風が盛んな土地でありました。明治以降も医学・教育・絵画・芸術などの分野で全国的に著名な偉人を多く輩出した文化の地であり、現代に於いてもスポーツの世界で多くの著名な選手を生み出しています。クラブが創立された1970年代は佐倉市の地域経済に於いても高度成長の発展に向かう時期であり、貴クラブも共に地域社会の中に歴史を刻んで来られた訳です。
このような佐倉市に誕生した貴クラブは学問という分野を特に強く継承され、ロータリー活動の中でも青少年育成に目を向け海外との交換留学生の輩出や受け入れサポートなど積極的にクラブとして取り組むなど、子供達の教育に広く貢献されてきました。ロータリー財団奨学生、青少年交換留学生、青少年短期交換学生の人数は日本人、海外の留学生を含め総勢50名近くに及ぶ功績は偉大であります。
更には1982年に四街道ロータリークラブを設立、続いて1995年には同市に佐倉西ロータリークラブ(現・佐倉中央ロータリークラブ)を設立する等、佐倉を主な活動地域として誕生された貴クラブが更に広範囲に充実した活動ができるようにと2つのクラブを誕生させた功績も国際ロータリーの拡大に大きな貢献をされました。
最近では地域の若手経済人の発掘だけでなく海外にも目を向け国際奉仕として歯科医療プログラム(フィリピンに於いてデンタルミッション)を実施する等クラブメンバー皆様の旺盛な行動力が感じられます。
そして今年度、中村慶太郎会長は50周年を迎えるにあたり『「RESTART!!」前に進もう!まずはやってみよう!』という力強いメッセージを発信され、クラブメンバーの皆さんに具体的なリーダーシップを発揮されています。
これからの佐倉市に活力を与え地域のリーダー的な存在で佐倉ロータリークラブは前に進んでいかれる事と大いに期待致します。
佐倉の輝かしい歴史を踏まえた「温故知新」をテーマに、次の50年の歴史を刻む為に佐倉ロータリークラブがこの地域で一層輝かれます様に祈念申し上げお祝いの言葉とさせて頂きます。

Rotary International District 2790
2021-22 Governor
Hitoshi
Kajihara

Rotary International District 2790
2021-22
Governor Elect
Sumio
Ogura
祝 辞
国際ロータリー第2790地区
ガバナーエレクト 小倉 純夫(松戸RC)
佐倉ロータリークラブ創立50周年、誠におめでとうございます。
日本のロータリー100周年のお祝いの年に、創立50周年を迎えられたこと、ご同慶の至りです。佐倉ロータリークラブは昭和46年10月2日に創立され、当地区82クラブ中41番目の創立ということになります。言うまでもなく、学問と武芸を奨励し学都と称された佐倉は歴史と伝統の町であると共に、自然も豊かな城下町です。
日本最初の民間西洋病院である佐倉順天堂を開設した佐藤泰然をはじめ日本の幕末開明期に活躍された人々を多数輩出した新取の気性に富んだ町でもあります。クラブのバナーの下地の青い色は、自然豊かな佐倉で湧き出る清水により創られた印旛沼の水面を表し、吹き抜ける風により起きる水面の白波の姿をデザインしたものであり、桜は佐倉に通じ、佐倉藩の出陣の際に使った紋章で沼の轡につける鐶を組み合わせて桜の花としたものと伺っています。これは、クラブ会員全員が、心を引き締め燃える強い意志と平和を希求していることを表しているとのことです。
佐倉ロータリークラブの活動は米山記念奨学生、青少年交換留学生の受け入れ、グローバル補助金奨学生の派遣等国際交流や国際奉仕活動が盛んであり、フィリピンや佐倉市での無料歯科診療等の奉仕活動も行われていると伺いました。
創立50周年のテーマ『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』は佐倉ロータリークラブに大変ふさわしいものと思います。「古きを訪ねて新しきを知る」とは、まさにロータリーの本質(原点)を探求し新しい時代のロータリー活動を行っていこうとの決意を表したものと思います。そのロータリーの原点は、言うまでもなく「親睦と奉仕」にあります。佐倉ロータリークラブは、そのメンバー構成も若く世代間のバランスも非常によく取れた風通しの良いクラブと伺っています。昨年から続く新型コロナウイルスの感染拡大によって当地区の各クラブのロータリー活動はおしなべて停滞しているのが現状だと思いますが、その中で佐倉ロータリークラブは少数精鋭ながら元気で活力ある活動をされています。「ロータリーの目的」を念頭に「4つのテスト」を行動指針として日々活動し、さらに会員はクラブとしての活動の他に、それぞれ個人としての活動を通して 新たな発見や信頼関係を構築し、充実したロータリーライフを送られています。
この創立50周年を契機として新たな佐倉ロータリークラブの歴史と伝統を築き、創立100周年を目指していただきたいと存じます。
改めまして、創立50周年を心よりお祝い申し上げます。
祝 辞 佐倉ロータリークラブ創立50周年おめでとうございます
「友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である」 アウグスト・フォン・コッツエブー
国際ロータリー第2790地区
2008-09年度 ガバナー 﨑山 征雄(習志野中央RC)
50年前、佐倉RC、28人のメンバーがチャーターナイトを迎え、大きな友情の花を咲かせ、その後50年の時間をかけて佐倉RCを素晴らしい果実にいたしました。クラブ奉仕・職業奉仕の幹から五大奉仕を大きく大きく実らせたのです。
1971年、埼玉県・千葉県でD357と称された時代、チャーターナイトを迎えた佐倉RCは千葉県で41番目、当時のGVは市川東RCの青山幸高様。その式典会場に私は奇遇にも、義父安房雄三が習志野RCの会員というご縁で会場設営に参加し立会った事を記憶しています。爾来、貴チャーターメンバー田中勘一氏とも懇意にして頂き、曰く八坂神社から流れるご神水を仕込み水に醸造した「旭鶴」を酌み交わしたものでした。あらためまして佐倉RCとのご縁に感慨深いものがあります。
千葉県では1951年、第1番目千葉RC発足以来、1964東京オリンピック後の力強い景気上昇を受け1971年には41RC、1998名の会員となり翌1973年には千葉県がⅮ349として独立、1977年にⅮ279となり1991年に4000人を超える会員を数えⅮ2790と改まり今日に至っています。
50年という長い年月を経た今、歴史の時間軸を見据えてロータリー110年の歴史を学ぶと、いろいろなものが見えてきます。
1900年代に入ったシカゴでこんな世の中で良いのかというモチベーションを持ち、友人四人と作ったロータリークラブというインベンションがシカゴから全米、全世界へあっという間に広まり、1905年30名、3年後には140名を超え、その後1915年サンフランシスコ大会でロータリー倫理訓・職業奉仕理念の確立と標準クラブ管理定款と細則を採用、さらに地区制度・ガバナー制度、アディショナル正会員制度の制定、1917年アトランタ大会で、財団の前身の基金制度を発足、1914年、第1次、1939年、第2次世界大戦の荒波にも負けず、ロータリアンは1966年60万人、1986年には100万人を突破、日本では10万人を超えました。1996年には120万人、クラブ数200余を数えたロータリーを人や社会に新たな価値を生む革新的なイノベーションとして発展させた現代ほどそのスピードが加速してゆく世界に我々は生きているという感覚を確認し変化に適応してゆく事です。
ポール・ハリスは回顧録の中で自問自答します「ロータリーとは何か? 何千人のロータリアンに聞けば何千通りの答えが返ってくるだろう」しかしもし、ロータリーがより寛容で、他人の良さを認め、親しく交わり、助け合うなら、人生の美しさと喜びを共に出来るなら、それが我々の求めるロータリーの全てです。と最後には、やはり此処にたどり着きます。ロータリアン一人一人の善意が高揚し個々の活動が、ロータリー発足の精神に立ち返り、新しい波の中さらにロータリーがもっと親しみやすく、誇りをもってロータリー活動ができるように我々は共にサーヴィスの場で、これからの一年一年をロータリー原点回帰の時間ととらえ、皆で充実したものにしたいものと考えてます。
これからの25年50年に向けて佐倉RCを更に大きく、美しく益々の充実発展を祈念いたします。

Rotary International District 2790
Past Governor
(2008-09)
Ikuo
Sakiyama

Rotary International District 2790
Past Governor
(2018-19)
Kyutaro Hashioka
祝 辞
国際ロータリー第2790地区
2018-19年度 ガバナー 橋岡 久太郎(佐倉中央RC)
佐倉ロータリークラブの50周年誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
また、この記念すべき御祝いの記念誌に寄稿させて頂きますことに、感謝御礼申し上げます。
世阿弥の言葉に「家、家にあらず、継ぐを以て家とす。人、人にあらず、知るを以て人とす」というものがあります。これは、「家はただ続くから家なのではない。継ぐべきものがあるから家なのだ。人もそこに生まれただけでそこの人とは言えない。その家が守るべきものを知る人だけが、その家の人と言えるのだ」という意味で、まさにロータリークラブも同じことが言えるのではないでしょうか。佐倉ロータリークラブには継ぐべきロータリー精神をよく理解し行動に移して来られた50年の歴史があります。
また、会員各位が存在するだけでなく、守るべきものを大切にされているからこそ、毎年開催されている地域ボランティアグループのための慰労ボウリング大会や災害時等に備えたネットワーク(佐倉市災害ボランティアセンター等)への支援等に繋がっているのではないでしょうか。
私の所属する佐倉中央ロータリークラブは、スポンサークラブの佐倉ロータリークラブの背中を追い、私自身も貴クラブの故 田中 勘一氏や三橋 正幸氏はじめ諸先輩方に沢山の素晴らしき教えを頂きました。
特に私が佐倉中央ロータリークラブに入会いたしました25年前、炉辺ミーティングに度々お誘い頂き、五十嵐 玲彦氏はじめ先輩方よりロータリーの精神を本音で語り合う機会を頂きました事は新入ロータリアンとしてこの上ない至福の時でした。
最近は、地区等の活動にて岡村 美智子氏、森本 功氏、實川 正道氏、坪井 尚也氏方と愉しくご一緒させて頂き嬉しく思っております。
まさに佐倉ロータリークラブには、ポール・ハリスの言葉「より寛容で、より他の人の良さを認め、より他の人と親しく交わり、助け合うようにしてくれるなら、そして、人生の美しさと喜びを発散し伝えるようにしてくれるなら、それは我々が求めるロータリーのすべてである。それ以上ロータリーに何を求めることがあろうか」が優しさに満ちあふれています。
このように、私にとりまして佐倉ロータリークラブは、宝の方々がおいでになる宝石箱のような存在です。
これより、65年、75年そして100年と佐倉ロータリークラブの益々のご発展ご繁栄を心よりの感謝を込めて祈念申し上げます。
祝 辞 更なる発展を
スポンサークラブ
八千代ロータリークラブ
会長 江頭 泰利
佐倉ロータリークラブの創立50周年おめでとうございます。そして会員の皆さまに心よりお祝いを申し上げます。
佐倉ロータリークラブさんは1971年に創立され、佐倉市とともに市の発展に尽力され、地域に根付いたロータリー活動を続けてこられました。
そして、この50年という歴史の成果として、佐倉市の各所に新しい街並みが出現し緑豊かな自然と融合した街が出来上がってきたものと思います。
この佐倉ロータリークラブさんの活躍は地域だけでなく、ロータリークラブの財団、基金への寄付、そして米山奨学生や財団奨学生の受入れや派遣などに多大な実績を残し、今でも大きな貢献をされています。
佐倉ロータリークラブさんの実績、誇るべきことは数え上げたらきりがないのですが、もう一つ挙げるなら、私ども12分区にある7クラブの内、四街道クラブと佐倉中央ロータリークラブの2クラプの創立を手掛けたスポンサークラブでもあります。
今、私は佐倉ロータリークラブさんのスポンサークラブという立場で祝辞を述べていますが、こうした 佐倉ロータリークラブさんの活躍を見ていますと、佐倉の藩校、佐倉順天堂、などの歴史に裏打ちされたクラブ運営が浮かび上がっています。
佐倉ロータリークラブ・中村会長の今年のテーマは、『「立ち留まることが人生ではない! 前に進もう! ためらう理由はいくつでも見つかるから、まずは、やってみよう!」ということで、50年間継がれてきたものをリスペクトしつつ、これから先の活力あふれる佐倉クラブを会員の皆様と共に考え、行動し、未来に引き継いでいければと思います。』とされています。
ロータリー会長のシェカール・メータ氏は『ロータリアンは「もっと行動し、もっと成長する」ための意欲を喚起する役割を担います。「もっと行動し」とは、より大きく、インパクトをもたらす奉仕プログラムを意味します。「もっと成長する」とは会員を増やし参加者基盤を広げることを意味します。会員増強は大きな課題です。』と述べられています。その中で、佐倉ロータリークラブさんが奉仕活動や会員増強において元気なところを見せてくれているのは、各クラブの皆さんに、大きな刺激を与えてくれるのではないでしょうか。
創立50周年のテーマ『「温故知新」~50年の伝統から、進む未来へ~』はまさに佐倉の伝統を支える佐倉ロータリークラブにピッタリの言葉です。
どうか、この50周年を契機に、ますますの発展を祈念しご挨拶とさせていただきます。

Yachiyo Rotary ClubChairman
2021-22
Yasutoshi Egashira

Ikuo Takahashi
Rotary Foundation
Scholarship student
1984-85
元ロータリー財団奨学生として
1984-85年度ロータリー財団奨学生 髙橋 郁夫
佐倉ロータリークラブ創立50周年おめでとうございます。私は、佐倉ロータリークラブより推薦頂いた元ロータリー財団奨学生です。
1984年7月から85年6月まで、アメリカのノースウェスタン大学大学院博士課程(マーケティング専攻)に留学させて頂きました。
帰国後は、大学教員の道に進み、1994年より母校の慶應義塾大学商学部に勤務しております。留学から20年以上が経ち、この記念誌に寄稿させて頂ける機会を頂けたことに改めて感謝申し上げます。
大学3年次に突然の病で父を亡くし、何とか希望通り大学院に進学はできたものの、修士課程の頃は留学など夢にも考えたことなどありませんでした。当時、佐倉ロータリーの会長をされていた有坂隆晴様のご子息の家庭教師をしていたこともあって、ロータリー財団奨学生という制度について教えて頂きました。
その後、恩師の勧めもあり受験、特に英語が得意だった訳でもない私が千葉県全体の合格者数名の中に入ったのも束の間、今度は留学先の大学院の入学資格は自分で取るということで大変苦労をしました。たまたま、留学先の大学が、ロータリアンであればよくご存知のエバンストンにあったことも幸運でした。青少年交換のお仕事でエバンストン本部の担当者と日頃から連絡を取り合っておられた旭鶴の田中勘一様が強力に推薦してくださったことも大学院の合格に少なからず影響があったものと思います。また、留学中やその前後に産婦人科医の狩野庄司様が、親身になって私のカウンセラーを務めてくださいました。
現在ではどこの大学でも国際化が叫ばれており、教員達は研究教育面でそれに応えていかなければなりません。マーケティング研究の世界的権威であるフィリップ・コトラー教授が所属するノースウェスタン大学大学院に留学でき直接指導を受けたことは、その後の人生に大きな恵みをもたらしてくれました。
1999年に出版した初めての単著『消費者購買行動-小売マーケティングへの写像』(千倉書房:日本商業学会賞、慶應義塾賞受賞)の序文では、ロータリークラブへの謝辞を述べさせて頂きました。
その後、世界の大学をいろいろと見てきた者として、他国に比べて海外に留学している若者は必ずしも多いとは感じません。これからもロータリー財団による留学制度の役割は大きいと確信しております。感謝の気持ちは、1000字程度の紙幅にまとめ切れないほどですが、佐倉ロータリークラブの今後益々の発展を心からお祈り申し上げます。




ロータリークラブとは・・・
~米山奨学生への思い~
佐倉ロータリークラブ
2013年度、2016年度米山記念奨学会
米山奨学生カウンセラー 森本 功
この度、50周年という貴重な節目に私の様な者が執筆させていただく事に大変恐縮させられると共に感謝を申し上げたいと思います。
なお、米山奨学生に対し、惜しみない支援を行っていた当クラブの藤井毅元会員、山田珠子元会員、青森RCの木村様、大網RCの佐藤様、市川南RCの石田様へは敬意を表したいと思います。

私ですが、林柏楊君と王宏さんのカウンセラーを担当し、私が会長の時にルイさんの受け入れをしました。また、王怡韵さんとは個人的に親しくさせていただきました。
米山奨学生の多くは日本で就職し結婚、そして子育てをしています。日本で生活を続けたり、母国へ戻ったりしても日本に好意を持ち、第二の母国と思ってくれています。それは、受け入れた側としては大変喜ばしい事です。高い教養と知性を持った彼らは平和を重んじ、日本との架け橋の一翼を担ってくれる事でしょう。
しかしながら、一部には「なぜ、中国人ばかり多いんだ?」「お金持ちなのに奨学金が必要なのか?」と言った意見があったのも事実です。私の見解としては、中国は隣国であり、人口も多く、日本への留学生の数が圧倒的に多いため必然的にこの制度への申し込み者が多かったと思われます。また、親がお金持ちであっても彼らの生活は決して贅沢ではなく、他の学生達と何ら変わりはありませんでした。そして、何よりも本人が優秀でなければ選ばれません。
事実、彼らは全員が有名な企業に就職をしています。学生時代にも優秀な成績を残しています。卒業式には総代に選ばれた者もいます。身寄りのない彼等がこの異国の地で必死に努力をし、立派に生活しているのを私はこの目で見て来ています。
むしろ日本にいながら日本人として平凡な自分が恥ずかしいです。彼らは尊敬に値します。彼らに何か困ったことがあったら私はできる限りの支援をしたいと思っています。今までに2人の身元保証人なっています。お互いの信頼を築き、彼らの人間性を信じています。
私が佐倉ロータリークラブへ入会して10年が経ちます。当クラブでは、米山奨学生をはじめ、青少年交換学生や財団奨学生など多くの学生を受け入れてきました。彼らは夢を持ち希望に満ちた目をしています。とても素敵な学生達で、そんな彼らに関わる事が出来き、誇りに思います。拙いこんな私ですが、少なからず人の役に立ちロータリアンとして奉仕できた事を嬉しく思います。
私は、彼らに当クラブへ来てくれてありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。今後、彼らが活躍する事を願い、ずっと幸せでいて欲しいと祈っています。
現ロータリー財団奨学生として
「人との繋がり・・・」
2021-22年度ロータリー財団奨学生
ロンドン大学 東洋アフリカ研究学院(SOAS)
政治・国際学科
博士課程 船橋 幸穂
皆さま、初めまして。この度は50周年の冊子に寄稿させていただき光栄に存じます。
船橋幸穂と申します。佐倉ロータリークラブにご推薦いただき、現在ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で、国際政治学、特に平和構築について研究しています。本稿では、ロータリーを通して留学中に得られた「人との繋がり」について報告させていただきます。
■ロンドンのロータリークラブの支援
ロンドンのホストクラブであるエドモントンクラブの皆さんには渡航前からサポートしていただきました。コロナウイルス流行の関係で出入国や市内の移動について不明瞭なところがありましたが、エドモントンクラブの方に事前に情報をいただいたおかげで安心して渡航できました。また隔離期間中には電話やギフトをいただくなど、寂しくないようにサポートくださいました。
渡航後も、数々のロータリーの恒例イベントに招待いただくだけだけでなく、奨学生のためだけにロンドンのツアーなどを企画してもらうなど、常に目をかけていただいています。

■ロータリーを通した学生同士の繋がり
大学の授業が始まる前から、奨学生同士の連絡網のようなものが自然にできており、大きな助けになりました。彼らのほとんどはロンドン大学に通っている学生だったので、同じ境遇の者同士で支え合うことができたからです。奨学生たちは、同じ年齢層ではありましたが、国籍も民族も、これまで積み重ねてきた経験も違います。このように、それぞれバックグラウンドは異なりますが、平和構築、疾病予防、経済発展といったロータリーの重点分野を通して繋がることができ、将来の夢について話すうちに、勉強へのモチベーションがさらに高まりました。同じ志を持つ「同志」に出会えたことは、これからの大きな財産になると思います。今後も定期的に奨学生仲間と会い、互いに助け合うつもりです。
アフターヌーンティーをいただく催しにて、エドモントンクラブの方と。

ロータリー第1130地区コンファレンスにて、ステージに上がる奨学生たち(著作権:Craig Simons)。
左から二人目が報告者です。
私は過去にもロンドンで学んだ経験があるので、友人や自分を支えてくれる方々の存在がいかに貴重で大切なものであるかをしみじみ感じています。
当時、私はロンドンに知り合いがおらず、何をするにも大変でした。しかし、今回はロータリーを通してたくさんの人々と知り合うことができ、とても実りのある日々を過ごしています。佐倉ロータリーの皆さんのご協力がなければ得られなかった、素晴らしい経験です。
改めて、ご推薦いただいた佐倉ロータリークラブの方々に感謝申し上げます。

Sachiho
Funabashi
Rotary Foundation
Scholarship student
2021-22
一人一人ができること
2018年度青少年交換留学生 青野 晶子(慶応義塾大学商学部2年)
私は、国際ロータリー2790地区、及び佐倉ロータリークラブ様のご支援の下、2018年の夏に、アメリカへ短期交換留学をさせていただきました。
私自身、カリフォルニア州で生まれ、9歳まで過ごしていたので、言葉や生活習慣の面で多少の準備はできているつもりでしたが、交換先のノースカロライナ州は、アジア系人種の非常に少ない土地で、南部地方特有の発音に驚くことも多く、アメリカに対する新たな認識を得ることができました。
一方ホストシスターのエミリーさんは、日本へ来ることに大きな不安があったことと思います。現地の地区ロータリークラブから日本への交換留学は、エミリーさんが初めてとのことで、事前にいろいろな情報を得ることもできなかったようでした。事実、出発前のやり取りでは「家で洗濯はできるのか。」など、日本にどのような印象を持っているのだろう、と思うような質問も多くありましたが、少しでも快適に過ごせるよう、家族皆で支えた結果、日本での1か月間を、エミリーさんには心から楽しんでもらえたようでした。
そして私も、エミリーさんの親戚一同に迎えられ過ごした現地での生活は、一生心に残る貴重な体験でした。
私がこの交換留学を通して得たことは、お互いに相手を思い、考え、行動することの大切さと、それにより信頼や友情や幸福感が生まれてくるのだということです。
今世界は平和な状態ではありません。国と国との政治的対立や内戦に加え、コロナのパンデミックで、多くの人々が犠牲になっています。特にコロナにより、人との接触が難しくなっている状況下、オンラインやSNSなどによるやりとりは、便利な反面、どこか人の心をドライにし、思いやりの気持ちを薄くさせてしまっているようにも思います。地球規模の環境問題も危機が迫っています。
このような問題に対して、自分の行動が周りに与える影響や、相手の立場について、私たち一人一人がほんの少しでも考えるようになれば、それらはやがて大きな波となり世界を変える力になっていくと思います。そしてそれはまさに、ロータリークラブの皆様の活動と合致すると痛感いたしました。
私は、来年できれば留学をしたいと考えています。世界中から集まる留学生と共に、互いを理解する機会を得て、日本のみならず、世界の平和と発展に貢献できる人材になれるよう、努力するつもりです。
最後に、私にこのような思いを抱くきっかけをくださった、ロータリークラブの皆様に、心から感謝を申し上げます。

Youth
Exchange student
2018
Syoko
Aono
創立50周年おめでとうございます
2013年度ロータリー米山記念奨学生 林 柏楊(Lim Paul Young)
このたび、佐倉ロータリークラブが創立50周年を迎えられましたこと、心からお祝い申し上げます。私は2009年にマレーシアから来日し、2013年、大学4年生の時に米山記念奨学生としてお世話になりました。
左も右も分からず単身で日本に飛び込んで、日本語でコミュニケーションできるまで、すごく苦労したのを今になっても忘れません。その後、大学に入学してから3年間、アルバイトと学業の両立に大変苦労しましたが、ロータリー米山記念奨学生として迎えて頂いたお陰で、最後の一年間は学業に集中し、奨学生の活動を通して様々な貴重な経験をさせて頂くことができました。
当時、毎月佐倉ロータリークラブの例会に参加させていただき、各領域の方々と交流する事ができました。未熟な大学生である私にも、関心を持って親切に接してくださいました。その中で、他団体の支援や寄付の話を聞き、皆様の奉仕精神に対してとても尊敬するようになりました。それをきっかけに、社会貢献に対する価値観が変わり、いろんな方法でも社会貢献できる事がわかりました。まず、大学で勉学した専門知識を極めて、その領域に精進し、いずれ社会貢献できるような人間になりたいと思います。
卒業後は日本企業に就職し、優秀な同僚に囲まれて、実力の差を痛感しました。その時、奨学生であった時にカウンセラーの森本さんの姿を思い出しました。森本さんは、仕事で人々を助けているにも関わらず、ボランティア活動でも活躍していました。一時的な挫折は大した事ではないと、まだ頑張れるような気持ちになれました。
その後、縁があり日本人の妻と出会い、子供にも恵まれて、人生に大きな幸福をもたらしました。もちろん、幸福と共に家族を守るという責任も手に入れました。これからは自分一人ではなくて、家族の未来を背負って一生懸命に頑張らないといけないと実感しています。
こうやって振り返ると、今まで出会ってきた皆様との時間は長くありませんでしたが、全てが縁が紡いだ絆だと思いました。
これもひとえに、カウンセラーの森本さんを初め、佐倉ロータリークラブの皆様のご援助によるものと深く感謝しております。今後も佐倉ロータリークラブでお世話になった奨学生の名に恥じぬよう、最善を尽くしてまいりたいと思います。
昨今、世の中は新型コロナウイルスに苦しめられ、社会に深刻な影響が出ましたが、一日でも早く元の生活に戻れるように終息することを願います。

Lim
Paul
Young
Rotary Yoneyama Memorial
Scholarship student
2013-14

Rotary Yoneyama Memorial
Scholarship student
2016-17
Wang
Hong
佐倉ロータリークラブの優しさに触れて
2016年度ロータリー米山記念奨学生 王 宏
佐倉ロータリークラブ、創立50周年おめでとうございます!
私と佐倉ロータリークラブの皆さんとの出会いは2016年からになります。
今年で来日11年目、振り返って見ると私の青春は日本で過ごしました。私は高校の時今後の進路を考える時、栄養に興味を持っていました。日本は健康寿命も世界で1番長く、もっと日本のことを知りたいと思い迷わず日本を選びました。
日本語学校で9ヶ月間日本語を勉強し、2011年に和洋女子大学健康栄養学部に進学、卒業と同時に管理栄養士国家資格を取得しました。2015年同大学大学院の総合生活研究科を専攻、研究に集中するために奨学金が必要だった私は、大学から情報を得て米山記念奨学金に申し込み、幸いなことに一年間の給付を頂くことができました。
毎月例会に出席させて頂いて、社会で成功を収めている会員の皆さんが、親しく接してくれることに感動しました。それ以外にも佐倉の夏の花火大会、ボーリング大会、冬の懇親会など様々なイベントに参加して一生の思い出を作って下さったロータリーアンに感謝の気持ちでいっぱいです。カウンセラーの森本先生にも色々とサポートを頂き、私はとても幸運だったと思っています。
短い間でしたが、米山奨学生になったことは私の学生時代では大きな意味を持つ交流の一年でした。今後もこの絆を忘れずに交流を続けたいと思います。
卒業後は食品会社で2年間勤め、結婚の為、夫が住む山梨に移り、管理栄養士のお仕事を3年間してきました。日中両国の架け橋になりたいのも留学当時の思いであったので、今中国では肥満率の増加、食生活による慢性疾患が増加している中、日本で積んだ経験を活かし、中国で人々の健康維持にたずさわる仕事に就きたいと考えています。
最後になりますが、佐倉ロータリアンの皆さんにお伝えしたいのは、当時留学生の私にとって、経済的な支援はもちろんですが、それ以上に、心に寄り添ってくれ て、異国で優しい、暖かさに触れることができました。
ロータリーアンの皆さんから「奉仕の心」を学び、今後自分も自らサポータとなり社会貢献できる人を目指して、頑張っていきたいと思います。